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2011/11/30 (Wed) スロー・イズ・ビューティフル ほんとに

今日は神経使ったな。
でも大丈夫だった。

 だいたいナースのお仕事なんてそれありきなのだ。
そこにあるのは整った幸福感なんかではないのだから。

人が集うということ。
年を老いた人の心のうち。

 病気、痛み、身近な死、悲しみ、寂しさ、不安、
彼ら彼女らの見ている世界はどんなだろか。

それを抱えたまんまで見る世界の小さな優しさ、
人と接することで得られる安心や幸福、と同じだけの摩擦。

 それぞれが瞬間で様々に変化する様々な思いを、何とか平常に保ちながら、
その時を素晴らしいものにしようとする取り組み。
 
 楽しい歓声、お互いを褒めあい、なぐさめあい、
凛として美しい。厳しくもありながら排除しない。
年を老いた人の精神力はやっぱり相当だと圧倒されてしまう。

 デイサービスとはそんな場所。

 今日は元気で余裕があったから、小さく噴き出し向けられるいらだちも受け流せた。
余裕は大事。本当に。

 ナースですなんて胸張って言えないような経歴なのだけど、 
片足残した形のまんま、何をしててもその足を外せないでいるのは、
きっとそこから離れてはいけないと思っているからなのだと思う。

 よいイメージがよいものを引き寄せるとか、善行をつめば神様はきっと見ているとか、
そういうのも一方では好きなのだけど、
でも、もう一方では別に何だっていいというのも大事に思うのだ。
そんなふうに気持ちは割り切ったりできないし、悲しいものは悲しいし憎いものは憎いし、

 ナースとして関わる人たち。
体が、心が、思うようにならなくて、がんばってみたり怒ってみたりあきらめてみたり、何をしてもだからといって何もどうにもならなくて、
人に迷惑かけてるとか、生産的なことに参加できてないとか、未来が真っ黒な口を開けて待っているような恐怖にとらわれていたり・・・

 その人たちに何かしてあげたいというほどのえらそうな気持ちではなくて、
なんていうのか、「そういうものだ」ということから離れてはいけないというような気持ち。

ただ生きている。
「そういうもの」な日常の中で、おかずがちょっとおいしかったり、銀杏が紅葉しててきれいだったり、スカーフがステキだと褒められたり、そんな優しい時間を共有する。というスタンスから離れては。

 
 だから私は、人からはどう見られているかは知らないけれど、自分としてはなにかの療法とか活動とかを強く提唱するということはしないでいる。つもり。

 何かを強く言いきれる人に憧れたりもするけれど、当然の真理とされることだって自分の言葉で見つけようとして、でも見つけきれず、見つけきれなかったことを丁寧に言葉にするような人を、私は好きです。

 ただただ今。
それだけ。
話がしたいのならできるだけ聞きたいし、薬やオペを望むならそれがいいだろうし、アロマが受けたいのなら心こめてさせてもらうし、私のお料理が食べたいのなら美味しいものを作ろうと思うだけだし。

 ひとそれぞれ社会や身近なもののなにがしかに目を留めて、それにむけてエネルギーを注いでいくのだろうけれど、
私の場合はきっと、身体や心というどうにもならないものから受ける悲しみに少しでも寄り添えたらというぐらい。
 それだけできっと手一杯だ。


 
 何ヶ月かぶりに何も予定のない一人きりの定休日。
デイサービスが終わっても次の用事のために急いで帰らなきゃということもないし、
明日も何にも入っていないのだ。


 人相手の仕事だから、人の発しているものを読みとろうと無意識にきっとすごく集中してるんだと思う。

 一人の時間も必要だ。
ひとりで少しづつ放っていって、自分の中心にしっかり戻しておかなくちゃ。常に。

 
 デイサービスが終わってから、秋の夕方の匂いが立ち込めていたので、
すぐ近くの公園にぶらりと行きました。
野良猫がいて、その後をついていくと、おじさんたちが名前を読んでいる。
たくさん集まっている猫に餌をあげている。

     111130_1615~01

 それを眺めていたら、みんなの名前を教えてくれた。コロン、とか、トラ、とか、どれとどれが仲が悪い、とか。

     111130_1616~01


 池に写る紅葉。

     111130_1614~01


 池をぐるりとまわって、竹林の近くでしゃがみこんで池をじっと見ていたら、

「何かを待ってるんですか?」と話しかけられた。
「いえ、ただぼんやりしているだけです。」と答えると、

「カワセミを待っているのかと思いました。この時間よくここにカワセミが現れるから」と。

「カワセミってあのブルーの…?」と聞くと、
「そう、飛ぶ宝石ですよ。見かけたら教えますね。」とニッコリ。

そんな日暮れ。

その後、行きつけの喫茶店でミルフィーユを食べながら、
昔とっても影響された辻信一さんの「スロー・イズ・ビューティフル」を閉店時間までだらだら読み返す。
「疲れ、怠け、遊び、休むことの復権」ってね。
(久しぶりの読書。本をゆっくり読める心になかったことにも驚き。)

     111130_1734~02


そんなぼんやりの中で思ったこと徒然。


おうちにかえったら、うれしい手紙が二通。メールが一通。
悲しみも沁みるけれど、愛も沁みるのだ。












 


 

 
 

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ありがとう 

文字を追っていたならば
思いもかけず、涙がぽろり。
すてきな日記をありがとう
そう、そうなんだよね、って

あたしも片足残したまんま、
でもその足を抜くことが出来ないのは
そこから離れてはいけないと思っている

整った幸福なんてものはそこにはなくて
絶対なんて言いきれない

人間ってそんなものだ、ということ
生きるってそんなものだ、ということ

洗って干してしまって、食べて出して、笑って泣いて怒って、喜んで憎んで

わたしがみわちゃんのことを
だいすきでやまぬわけは
とってもとっても美しい笑顔で
ふんわりと
そんな安心をくれること。

今日おうちが決まったよ。
丘の上、果樹があって、
ほんとうに小さな小さな可愛いおうちです。

みわちゃんの日記を読んで
ナース片足分のじぶんも、ぎゅぎゅっとたのしみ。

いつもありがとう。

2011/12/01 21:34 | の [ 編集 ]


の ちゃんへ 

ありがとうってタイトル、なにかと思っちゃった。
そんなふうに感じてくれたなんて、本当にうれしい。
あの時はね、いっぱいあふれてきて、書かずにはいられなかったのよ。

半農半ナースになりたいなんてのんちゃん言っていたけどさ、
大地に種蒔いて自分の食べるものを作り、そしてそれができない弱った人を看る。
生きていてしなくちゃいけないことは、究極的にはそれだけなんじゃないかって思ったりするよね。

農もナースも進化(?)しすぎて複雑なことになっちゃってるけど、
シンプルにシンプルに、生きていきたいね。

果樹園のある小さなおうち。楽しみね。

本当にのんちゃんは、これからいろんなことが噛み合って、楽しく楽に力を発揮できる時がすぐそこまで来てるって思うのよ。


2011/12/04 22:18 | アンネリダ  [ 編集 ]


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