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2011/11/30 (Wed) スロー・イズ・ビューティフル ほんとに

今日は神経使ったな。
でも大丈夫だった。

 だいたいナースのお仕事なんてそれありきなのだ。
そこにあるのは整った幸福感なんかではないのだから。

人が集うということ。
年を老いた人の心のうち。

 病気、痛み、身近な死、悲しみ、寂しさ、不安、
彼ら彼女らの見ている世界はどんなだろか。

それを抱えたまんまで見る世界の小さな優しさ、
人と接することで得られる安心や幸福、と同じだけの摩擦。

 それぞれが瞬間で様々に変化する様々な思いを、何とか平常に保ちながら、
その時を素晴らしいものにしようとする取り組み。
 
 楽しい歓声、お互いを褒めあい、なぐさめあい、
凛として美しい。厳しくもありながら排除しない。
年を老いた人の精神力はやっぱり相当だと圧倒されてしまう。

 デイサービスとはそんな場所。

 今日は元気で余裕があったから、小さく噴き出し向けられるいらだちも受け流せた。
余裕は大事。本当に。

 ナースですなんて胸張って言えないような経歴なのだけど、 
片足残した形のまんま、何をしててもその足を外せないでいるのは、
きっとそこから離れてはいけないと思っているからなのだと思う。

 よいイメージがよいものを引き寄せるとか、善行をつめば神様はきっと見ているとか、
そういうのも一方では好きなのだけど、
でも、もう一方では別に何だっていいというのも大事に思うのだ。
そんなふうに気持ちは割り切ったりできないし、悲しいものは悲しいし憎いものは憎いし、

 ナースとして関わる人たち。
体が、心が、思うようにならなくて、がんばってみたり怒ってみたりあきらめてみたり、何をしてもだからといって何もどうにもならなくて、
人に迷惑かけてるとか、生産的なことに参加できてないとか、未来が真っ黒な口を開けて待っているような恐怖にとらわれていたり・・・

 その人たちに何かしてあげたいというほどのえらそうな気持ちではなくて、
なんていうのか、「そういうものだ」ということから離れてはいけないというような気持ち。

ただ生きている。
「そういうもの」な日常の中で、おかずがちょっとおいしかったり、銀杏が紅葉しててきれいだったり、スカーフがステキだと褒められたり、そんな優しい時間を共有する。というスタンスから離れては。

 
 だから私は、人からはどう見られているかは知らないけれど、自分としてはなにかの療法とか活動とかを強く提唱するということはしないでいる。つもり。

 何かを強く言いきれる人に憧れたりもするけれど、当然の真理とされることだって自分の言葉で見つけようとして、でも見つけきれず、見つけきれなかったことを丁寧に言葉にするような人を、私は好きです。

 ただただ今。
それだけ。
話がしたいのならできるだけ聞きたいし、薬やオペを望むならそれがいいだろうし、アロマが受けたいのなら心こめてさせてもらうし、私のお料理が食べたいのなら美味しいものを作ろうと思うだけだし。

 ひとそれぞれ社会や身近なもののなにがしかに目を留めて、それにむけてエネルギーを注いでいくのだろうけれど、
私の場合はきっと、身体や心というどうにもならないものから受ける悲しみに少しでも寄り添えたらというぐらい。
 それだけできっと手一杯だ。


 
 何ヶ月かぶりに何も予定のない一人きりの定休日。
デイサービスが終わっても次の用事のために急いで帰らなきゃということもないし、
明日も何にも入っていないのだ。


 人相手の仕事だから、人の発しているものを読みとろうと無意識にきっとすごく集中してるんだと思う。

 一人の時間も必要だ。
ひとりで少しづつ放っていって、自分の中心にしっかり戻しておかなくちゃ。常に。

 
 デイサービスが終わってから、秋の夕方の匂いが立ち込めていたので、
すぐ近くの公園にぶらりと行きました。
野良猫がいて、その後をついていくと、おじさんたちが名前を読んでいる。
たくさん集まっている猫に餌をあげている。

     111130_1615~01

 それを眺めていたら、みんなの名前を教えてくれた。コロン、とか、トラ、とか、どれとどれが仲が悪い、とか。

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 池に写る紅葉。

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 池をぐるりとまわって、竹林の近くでしゃがみこんで池をじっと見ていたら、

「何かを待ってるんですか?」と話しかけられた。
「いえ、ただぼんやりしているだけです。」と答えると、

「カワセミを待っているのかと思いました。この時間よくここにカワセミが現れるから」と。

「カワセミってあのブルーの…?」と聞くと、
「そう、飛ぶ宝石ですよ。見かけたら教えますね。」とニッコリ。

そんな日暮れ。

その後、行きつけの喫茶店でミルフィーユを食べながら、
昔とっても影響された辻信一さんの「スロー・イズ・ビューティフル」を閉店時間までだらだら読み返す。
「疲れ、怠け、遊び、休むことの復権」ってね。
(久しぶりの読書。本をゆっくり読める心になかったことにも驚き。)

     111130_1734~02


そんなぼんやりの中で思ったこと徒然。


おうちにかえったら、うれしい手紙が二通。メールが一通。
悲しみも沁みるけれど、愛も沁みるのだ。












 


 

 
 

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2011/11/26 (Sat) お染め大会

 11月23日 勤労感謝の日

勤労感謝の日とは、勤労者に感謝してねぎらってお休みする日なのか、はたまた勤労できることに感謝して精だして働く日なのか。

水曜だけど祝日のこの日。お店やってますかと問い合わせいただいたりしてどうしようか・・・
はたしてこの日の意味合いは・・・と先の一文に戻る訳だけれど

結局、カレンダー通りの会社勤めのお友達から「このチャンス!遊びましょう!草木染めなどやりませぬか」との誘いをいただき、勤労感謝の意味合いなんてすっ飛んじゃって、定休日通りお店はお休みすることにしました。

草木染め!やりた~い!の気持ちにウソはないのだけれど、直前とっても立て込んでいたので何を何で染めようかな、とか、気持ちを向けらる余裕が全然なかったかなしい私。

でも、前日に送られたメールに貼りつけられたかわいい案内図をみて「わーい」。
当日迎えに来てくれた車には荷物が山積み!

         
     img001_convert_20111127003045.jpg


すごいすごい。

さすがサーフィン&キャンプにいそしむアウトトドアラーの実力を見た思いでした。


まずは豆のゆで汁に生地をつけます。

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アパレルで働く御一行。生地問屋部門なんて子もいて、山のように用意されたいろんな風合いの生地たち。

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それを軽く乾かします。

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その間に染液の準備。
この日はセイタカアワダチソウ・ススキ・玉ねぎが用意されていました。

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ぐつぐつ鍋で煮る、傍らではスープやら焼き芋やら。

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染液に浸したら今度は媒染です。

これもしっかり準備がなされていました。
錆びたくぎをつけておいた鉄媒染、お隣は銅、あとはミョウバンも。

     111123_1057~01


食事もできあがったので、媒染につけてる間に食事をいただきます。

パン、野菜たっぷりのスープ、きのこのサラダ、焼き芋、そして持ち寄ったパウンドやらなにやら。
おいしいおいしい。
なんでこんなにおいしいのでしょう。

    111123_1327~02


その時心配された雨がポツリポツリと。
あぁ、降ってきちゃった。
慌てて片付けて第一回お染め大会は終了。

いろいろ準備されてたのに、セイタカアワダチソウしかできなかった。

せめてコーヒーくらい・・・

ということで、片付け終わった後で屋根に移動してコーヒーをいれて飲みました。
雨の公園のしっとりしっとり雨宿りの余韻。

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染めた布は乾かしてみたらほんのり緑のきれいな色に染まっていました。

     111125_1603~01



早めに解散になった後、
ピロちゃんに棘に送ってもらってお茶を少しお出しして、
そのまま日がとっぷり暮れるまでずいぶん話しこみました。

なんでこの子はこんなにも私の心に寄り添うことができるのだろうね。
草木染めのワイワイもとっても楽しかったし、
その後寄り添いあった彼女のもう一つの面にもとっても助けられました。

楽しかった。し、今、ゆっくり会えてよかった。





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2011/11/26 (Sat) 月の出ない

「月の出ないこの夜に
 たよりはろうそくの炎だけ
 毎日は隙間なく続いてゆく
 ヒマなどないわ
 ハートを燃やして。

 誰の記憶もない言葉を武器にして
 私が映すのは何も動かない日々

 もの想う夜更けに孤独の裏は何もない。
 そんなの、とっくの昔から全部わかってたんだ」

~「ハートを燃やして」ACO~



今夜は新月だそうです。
そうか…なんて思いながら車を動かし始めたら、
ふと懐かしいこのフレーズが浮かんできたのでACOの「Materal」をかけてみる。
ACO、今でもよく聞いています。好きなんです。Materalはいいアルバムだと思う。

なんだかナウシカのあのこっそり育てられているキョシンヘイを思い出します。
肥大し、脈うち、膨れ上がる暗赤色のなにか、透明で崩れそうにはかなげで、でも強くしたたかな。
したたかさを思い出すことがよいみたい。変だけど、安心する。


昨日も行ったのに、また今日もお風呂屋さんに行ってしまった。

名古屋の端っこちょっとすぎたところにあるそのお風呂屋さん。
今日はアロマを受けてきました。

ちょうど優しいメールをもらい、電話をもらい、
私を思い出してくれることがうれしい。

アロマだと思う。
危機を救うのはやっぱり。
人からの愛のあるあれこれと、そしてアロマ。
それがあればなんだって大丈夫なのだ。

帰り道は大好きな道。
モノレールみたいな高架沿い、近未来な道をびゅんびゅん走って、
大きな橋を渡ったら団地がいっぱい立ち並ぶ。
そして高台を登ったら街の灯りがいっぱい見えて、
千種の丘を登ったり谷を越えたり。

     111126_0009~01


楽しい楽しい一人のドライブ。

ほっぺはすっかりモチモチになっちゃったし。
明日のためにもう寝よう。






(「ハートを燃やして」はなかったけど、同じMaterialから…)



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2011/11/24 (Thu) 猫をおくる、柔らかな午後。

猫が死にました。

あんなに動物屋敷のようだったうちの実家は、あれよあれよと逝ってしまい、あっという間に静かになってしまいました。

「私は看取る役割なんやと思うんよね」と、母がお客さんか誰かに話しているのが聞こえてきたとき、ん…と考えてしまいました。
 確かに母は看取る役割にあるかのような人で、私の記憶にある限りいつも誰かに寄り添い、看取ってきました。

 うお座。
12星座の一番最後。
生の一番最後に位置する星座に生まれた母は、岸にいて、旅立っていく人のお世話をするのが役割のように思うことも…。


 犬のサトルが死んだ時、近くの公営の焼き場に連れて行ったのですが、それがあまりにもだったので、
口に出して文句を言ったりしないけれど、仕方ないとぐっとこらえていたけれど、そんなふうに事務的に遺体を扱われたサトルがあわれで心残りがずっとありました。

 今回は、だから、ペットの葬儀をしてくれる会社にお願いすることにしました。

 犬山の山の方。入鹿池のほとり。
背の高さほどの草がおおい茂る道をひたすら走ったところにそれはあります。
その建物はお世辞にも立派とは言えないけれど、入口にはたくさんの犬が元気に吠え、建物の中は手書きのいろいろが楽しげに壁に貼ってあり。

 人のよさそうなおじさんが、黒の礼服に白の手袋をして丁寧に迎えてくれました。

 地下に猫のカナちゃんを連れて行き、祭壇の上に寝かせます。
ここは特定の宗教ではなく、なので何かお経を読むわけにはいかないのでというようなことを説明され、
一緒に手だけ合わせさせていただきますね。と。

 そして、とってもとっても優しい声で
「カナちゃん、今までアリガトウ。いっぱいいっぱい思い出をくれたね。・・・」と、遺体に手を合わせて語りかけてくれました。
もうそれだけで、このおじさんはとってもとっても動物が好きなんだなぁということが心から伝わってきて、とってもうれしくなりました。

 では40分程お待ちください。お飲み物などご用意してますので。
といい、私たちがそちらに向かい始めると、
車に何かとりに行ったと思ったら、ビニール袋を持って渡してくれました。
「これ、ご飯時ですし、お腹がすいちゃうといけないので良かったらどうぞ」と。
中を見ると菓子パンが3個。
おじさんのお昼ご飯じゃなかったのかなぁ。と恐縮したのだけれど、いいからいいからと。

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テーブルにはいろんな飲み物、そして、トランジスタラジオでAMがつけられていました。
窓から温かい日の光がさんさんと差し込んでいて、外を見ると犬たちが元気に走り回っている。

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不意におじさんが、ミニチュアダックスを抱いてやってきて、
「この子をここで遊ばせてもいいですか? 出してくれってうるさいので」と。

この子を始め、外で元気に鳴いたり走ったりしている子達はみんな、ちょっと預かってくれと言ってひき取りに来なくなった子や、飼い主が亡くなって飼えなくなったからと家族がもってきた子だったり。
または飼っていた夫婦が離婚して、犬を残して二人ともマンションを出てしまい、異変に気づいた隣の人が見に行ったら餓死寸前の犬がグルグルと部屋の中を歩き回っていたとか。栄養不足で平衡感覚がとれなくなり、今でもまっすぐ歩くことができないそうです。

そんな子たちを、憤りと愛情を持ってここでたくさん世話をしているのだそうです。

山の奥。池のほとりの草に埋もれたこの建物で。誰も知らないそんな場所があるのです。

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焼かれて灰になったカナちゃん、おじさんがすべての骨を丁寧に説明してくれて、全ての骨を骨あげさせてくれました。


この仕事は定年してから始めた。と、チラリと言っていたので、こういうお仕事だったんですかと聞くと、「いえいえ全然」と。
何やらの部品を作る会社で定年まで勤め上げたそのおじさんは、単身赴任も多かったので自分抜きで雰囲気が出来上がっている家族からいまいちはじきとばされているような寂しさを感じることも多かったのだとか。
それでも、飼っていた犬だけは全身で喜んで迎えてくれたし、それにとっても助けられたって。
その犬が亡くなった時、私たちと同じように公営の焼き場の対応があまりにもさみしいものだったのでいろいろ調べているうちに、残りの人生はそのお世話になった犬への恩返しに費やそうと思ったのだそうです。
年金ももらっているし、儲けということはあまり考えていませんと。



世の中には、目立たなくても心があって素晴らしい仕事をしている人がいるのです。

しつこいようですが、こんな人里離れた池のほとりの草に埋もれたこの場所で。



サトルの時と同じように、その帰り道は実家近くの大好きなオーガニックカフェで食事しました。
玄米リゾット。温かくておいしかった。

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ジャズのライヴもよくやっているそのお店ではその日もジャズがかかっていました。

窓のスクリーンに映る影。

神に通じるような、穢れのない美しい光に憧れもするけれど、
血や肉やさまざまのものを内包する肉体を持って、傷ついたりあきらめたり、私たちはそんな存在なのでした。
36℃の手に負えない肉体から慰めるように奏でられる優しい音。それがジャズの音。
そして、スクリーンに映る影のような、チラリと胸を打つ弱くて透き通る光。と影。

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生きているから仕方ないのだ。

そんなあきらめで息がふっとつけたような、そんな時間をくれました。


そのカフェの、すっかり顔なじみの美しい奥様にご案内していただいて、フジ子へミングのソロに行けることになったのも、
思いがけないプレゼントでした。







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2011/11/17 (Thu) 夜にはね、見えないものがいるのですよ。

 2011、11、11。

この日はマヤ歴でも大きな意味を持つ日で、数字の上でも大きな意味を持つ日で、あらゆるそういったものでこぞって大きな意味のある日なのだそう。

この日、私は京都にいました。
先日亡くなった祖母の納骨です。

納骨なんだから日にちはいくらでも選べたはずで、母は散々土日は休めないから平日にしてくれと頼んでいたにもかかわらず、(いとこはほとんど子育て中の主婦で、土日じゃないといけない理由は何もないはずなのに、)なぜだか納骨は12日の土曜日になりました。
納骨は午前中なので前日から京都入りして、久しぶりに家族3人で旅館にでも泊まろうということに…
私は本当にスケジュールが立て込んでいる真っ最中だったので、なぜ京都なんかに行く時間を「今」作らなくちゃいけないのかと、泣きそうな気持も抱えたまま何とか新幹線に飛び乗って京都へ。

改札で待ち合わせて久しぶりに妹の顔を、(というか、母と妹のくだらないいつものじゃれあいを)見たら一気に仕事を離れて懐かしい家の感じを思い出しました。

なんだかひときわ輝いて見えた京都タワー。

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祇園に予約した宿に向かう途中、ふと目に入った看板には「高台寺ライトアップ 21:30まで」と。
あぁ、お庭がみたいなぁ…。ライトアップとか俗っぽい観光っぽいことがしたいなぁ…。と居ても立っても居られない衝動に駆られ、宿に荷物を置いたらいそいそと高台寺へ。

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東山にあるうちの墓から下りてくるとちょうど祇園なので、このあたりには墓参りの度に必ず通っている、わりには、高台寺には行ったことがなかった。

とにかくただ、俗っぽい観光がしたいというそれだけでフラフラとはいって行った高台寺ですが、
思いのほか立派で美しくって驚きました。

そして、、、、


お庭の小道をぐるりと周ってその場所に立った時、いったい何なのか分からなかった。
一緒に歩いていた母も妹も一様に同じ言葉を口にしていました。

「なに、どうなってるのこれ?」と。


池に映った紅葉。
その水面は決して水面なんかではなくて、地上の紅葉を同じように映しているようでいて、より深く鮮やかで静まり返った世界がそこにはありました。

夜の闇はより暗く、散りゆく紅葉はより赤く、そこに漂う空気はとっても魔力を持っていて、足が自然にそこに向かってすっすっと引き寄せられてしまうような。

その世界を満たす空気は恐ろしい吸引力を持って、誘いこむような・・・

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こんなものを見たことは本当に一度もありません。




我にかえるように視線を上に外してみると、東山の澄んだ空気の中を登ったばかりの満月が、くっきりと光っていて、その吸い込むような池にわずかにゆらゆらとその姿を揺らしています。

111111のこの日、祖母は私たちをこの地にいざない、そして東山に眠る祖父があの世への入り口を一瞬見せてくれたみたいな。
そんな夜でした。




朝。

人のいない祇園の街をお散歩します。

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朝露に濡れた萩や秋の草花たち。

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朝焼けに照らされたうろこ雲の空にはごま塩をばらまいたようにカラスが一斉に飛び立っていきました。

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あれはなんだったのか、気になって仕方がない私は、朝もまた高台寺へ。

そしてその場所は…


ただの濁った池があり、わずかに色づき始めたただの葉っぱがゆらゆらしているだけでした。
空気はあくまでも俗のもので、酸素だか窒素だかの空気以外の何物でもないような味気ない景色があるだけでした。

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お寺の人に、たち話の流れで「昨夜のこの池がすごかった」と伝えると、

「そうでしょう、夜には見えないものがいますからね」とそっと付け加えてくれました。


夜には見えないものがいる。
それはイコール邪悪ということではないのだろうけれど、
理路整然と考えられた科学や思想やそういうことだけでなく、清く正しいことだけでなく、
この世にはいろんなものがあり、うごめきあうそういった様々が働きかけあって物事は成り立っているのだと、
そう思ったらなんだかワクワクニヤニヤしちゃったりして。

ちゃんとできてないこと、段取りがスマートじゃないとか気が利かないとか心が美しくないとか、なんとかかんとか…
疲れのせいでか過剰に自分を責めあげていた最近の自分が、ちょっとだけバカバカしくなったりして。

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さすがは京の都。
一筋縄じゃいかないです。

そして百鬼夜行のこの都で安らかに永眠する先祖を持つ私もきっと、そのくらいのふてぶてしさを持っててちょうどいいのだ、なんて思ったりして。

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2011/11/17 (Thu) 月とおはぎ

 考え続け、神経を使い続け、時間に追われ続けてしまうと、こうも簡単に境界を越えてしまうのか。

 と、今になってみれば驚きをもって振り返ることが、ほんとに今になってみれば、できるのです。

その日はピークに忙しすぎた。
週末までの立て込んだスケジュールを見据えて分刻みで判断して動かなきゃいけないことがあり、体も使い、移動もし、その中で人をお迎えしたり手伝ったり…。

 その緊張感の中で新たな提案が持ち込まれたときに、それまで頭も体もパンパンに張りつめていたのがフ~っと気が遠くなる瞬間があり、そのあとはコントロールを超えていました。

 もうその時ずらりと集まっていた大好きなお友達に心地よい空気を届けることはできなくなって、慰めてくれる言葉もすべて何も入ってこず、ただただあふれ出る震えをどうしようもなくなってしまって…

 いったんみんなに先に帰ってもらい、同じようにお店をしていたことのあるKさんに残ってもらってたくさん話を聞いてもらいました。
もうそれだけでそれだけで頭の中がすっと整理されておさまってくる感じがしたのです。

 「帰ろうか…」

ひんやりとした夜道を歩いて一緒におうちに帰ります。

 「ただいま」と玄関を開けると、「おかえり」と迎えてくれる元気な声達。

 そして、「月見て!」と大きな声。
外に駆け出して見てみると、月に大きな光の輪っか。

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きれいだね、すごいね。
よく見ると、輪っかが内側から外側に向かって赤から青へと変化しています。
棘の玄関先で見ると、ちょうど棘の上に大きく大きく。

守られてるね、祝福されてるね、あぁ、きっと大丈夫だ。

夜空を見上げる5人。
私、エミちゃん、フランスから帰ったばかりのKさん、葉山のMちゃん、島根のYちゃん。
この瞬間のために集まったみたいに、あり得ない顔がずらりと。
みんな何事もなかったように温かく受け止めてくれていて。ね。

幸せだね。


あ、おはぎがある。

そういえばKさんがおはぎを作ってきてくれたのです。
お月見だね。
まるで見通して準備されたみたいに。

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不思議な夜でした。

Kさんが帰る時、感謝をこめて駅まで見送りに行ったのですが、
並んで歩きながらKさんがポツリと
「なんか、あれ?疲れてるんじゃないかなってふと思ったから、何か作っていってあげたいな、おはぎかなって思ったの」って。
今回、会うまではKさんとはただの事務的なメールのやり取りだけだったのに。
じんわり。


月とおはぎと、みんなに感謝。








 



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2011/11/06 (Sun) 無から有を

空間を扱う時は、慎重にしなくてはいけない。

生き物は生きている。
そして、物も生きているのだ。

じっと心を通わせて、そしてそれにふさわしい場所を与えてやる。

それをしなかったらすぐに死ぬ。
生き物も、物も、空間も。


死んだものはすぐに分かる。
そして、死んだ空間も。

死んだ空間のなんと多いことか。
(でもそれはそれで別の何かがあるのでいいのではあるのだけれど、)



可愛いとかなんて別にいらない。
なになに風のオシャレな感じとか、いらないのだ。

それが一番ハッとする妖艶な輝きを放つような、
生き物はもちろん、そんな気持ちで作られた魂のこもった物の、心奪われる輝きを。

そんな魅力を引き出すような場所を作りたいのだ。

生かしてあげたい、でもすべてにそこまで至れないでいることにちょっとため息ついちゃったり。


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雨の夕方は、
ふわふわ漂っている落ち着かない浮かれたものがみんな地面に流れて行って、
小さな気配が浮かび上がる。

小さな草花の。
想いを込められた物達の。

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なんだか無性に愛おしい気持ちになる。

これをセンチメンタルというのかな。


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その手の雑貨屋に行けばすべて一つのお店で入手できるような、なになにスタイルで完璧にコーディネートされたお店を、お部屋を、はたしてステキというのだろうか。
原型も表情も分からないほどに完璧にお化粧で陰影やふちどりされた人を、はたして美人と呼ぶのだろうか。

自分の目にとらえた命の輝き、闇の暗さ、光のまぶしさ、そういったものをいったん形ないものまで消化しきる。
そして無から生まれたものを表現していきたい。

それは、アートという形なんてとらなくても、身にまとうもの、空間、お料理、言葉、行動…
そんな生活のあらゆることで。
実際に手を動かすことだったり、または選ぶということだったり。

無から有を生み出す人になりたい。

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思春期に読んだ岡本太郎の言葉で、「芸術は芸術家のものじゃない、誰もが芸術をするべきなのだ」とかなんとか。
それが巨大な岩のように落ちてきて、くらくらしたっけ。

きちんと消化して出す。
自分の出すものは自分そのもの。
全てにそんなふうに芸術しながら生きていけたら、こんなに気持ちのいいことはない。

と思うのです。












 

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2011/11/02 (Wed) イルカ

 そういえば何年か前、そういった愛らしい動物に全く興味のなかった私が、急にイルカ!イルカ!と騒いでいたことがあります。
 というのも、よしもとばななの「イルカ」を読んだから。

 ある命が、この世に降り立つために、「私」と「誰か」を結び付ける。
その美しい流れには、「イルカ」がたびたび現れて、「イルカ」のキーワードが現れる度に「私」と「誰か」は不思議な縁でどんどん結び付けられていく。

 その、この世に降り立とうとする命の側から逆算的に事が起こっていくという見方になんだかとっても感動してしまい、とにかく何か、何かもう少しその世界に触れていたくって、「イルカ!イルカ!」と騒いでいたのです。

 その小説では、まだ何でもない二人が品川の水族館に行ってイルカを何となく見ることになるのですが、ということで当然私も「品川の水族館!」なんて思って。
でも、いろいろあって品川の水族館には行けなかった。しょんぼりしている私のために、というか、不思議なその時の会話の流れで、職場の仲良しさんと御蔵島にイルカと一緒に泳ぎにいくことになったり、母が神奈川に来た時に「シーパラに行きたい」と突然言い出して、ここでも白イルカをみることになったり、
 まさに、しょんぼりしている私のためにあっちこっちのイルカさんたちが総動員で会ってくれているみたいな。

 シーパラで白イルカの水槽の前に立った時、白イルカは親しい瞳でじっとこちらを見てくれて、私もじっと目が離せなくて。
 ずっと無言で水槽の前にたたずんでいた後、私と妹はほぼ同時に「イルカは分かってるね」と口にしたのでした。
それはもう何というか、分かってくれてるとしか思えない不思議な感覚だったのです。

 そんなことがあった遠い日。


 先日、東京最終日、何もプランを考えていなかった私。急に品川の水族館に連れて行ってもらうことになりました。
 そんな遠い日のことなどすっかり忘れていて、いろんな魚を見始めて、そういえば、と、思いだしたのでした。
そういえば私はここにとっても来たくって、でもこれなくて悲しかったのだった。と。

 品川の水族館はとってもとっても楽しかった。
心がのびのびとして、小さなこともいっぱい笑って、本当に楽しかった。
あぁ、そうか、あの時ではなく、今この人と来るのが正しかったのだな。と、そんな気持ちがしました。腑に落ちたというか。


 ここにいたイルカたちはショーの主役を張っていて、すごいスピードで泳いだりジャンプしたりくるっとまわったり、それはそれはの張り切りぶりで、私のことなど気にしていないみたいでした。
 
 でもイルカは分かっているからさ、きっと私のことをもう大丈夫だと思っているのでしょう。なんて。



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 そして別の話。

 この前ある人が言っていたこと。
「今の若い子はドルフィン世代なんて呼ばれているの。頭がよくて穏やかで平和的で、でも、仲間内だけで小さく楽しくやっていてその外のことには全然興味がない。みたいな」

 う~ん。頭がよいとは思えないけれど、後半はかなり何だか耳が痛い。

 でもね、今日話していて思ったこと。

例えば被災地入りしようとしているお友達がいる。素晴らしいなと思いつつ私は今全然そういう気持ちが沸かない。
それはドルフィン世代的といえるかもしれないけれど、だけど、あそこに行きたい、とかこの人に会おう、とかそういうのはすべて衝動で、生きて行く中で何を選択してくかはもうそのとき心に沸いたものを選びとっているだけに過ぎないのだと思うのです。それはもう人知を超えた何かで、
行く人がいる、行かない人がいる、みんな行ってしまったら社会は成り立たないし、みんな行かなかったとしてもこれまた困るし、人知を超えた何かでふるいにかけられて行く人は行くし行かない人は行かない、一番いいバランスになるようになっているのでしょう。だからあまり気にしない。自分がやりたいことをやる、でいいのだと。

自分を満たしておく、誰もが自分を満たしておく、全ての人が穏やかで平和で幸せであれば、イコール世界は穏やかで平和で幸せで、問題なんて何も起きないんじゃないかとか。
だって、病気が体のサインであるのと同じように、悲しいできごともきっと無理やバランスを欠きすぎたサインだと思うから。

以前はとてもそうは思えなかった。
誰かのためにどれだけ自分を捧げられるか。
突き詰めれば100%自分の時間も命さえも投げ出すことができるのだろうか、なんて難しい命題を自分に投げかけてその決心ができないで苦しんでいたりしたのだから。

類は友を呼ぶというのか、
私も周りもみんな苦しんでいた。


今もまだそんな余韻はあるのですが、ちょっとずつちょっとずつね。

頭がよくて穏やかで平和的で、そんなイルカさんたちが今、私の周りにはたくさんいて、そのキラキラを見せてくれるから。





 
 

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2011/11/01 (Tue) 秋のお散歩

 秋は空が高い

 むっちゃんをお迎えした先日、久しぶりに予定のないお休み。
二人でゆっくりゆっくり名大をお散歩しました。

     111019_1059~02


 名大は広い

 グランドで溌剌とサッカーなどやっている若者たちがいるかと思えば、文学研究なんとかに入っていく人たちがいたり、理学部のガラス張りの近未来的な建物があったっと思えば、ツタの絡まった謎の小屋やら、エネルギーなんとかかんとかとかとか。

 大きな木にもそれぞれ名前や特徴を書いたパネルがぶら下げてあってへーなんて思ったり、

 好きな場所。

 ほぼ毎日のように訪れてる。

 広い広いのでなかなか一番向こうまで行けないのだけれど、棘から一番遠いところは農学部エリア、ここまで来ると急に鶏がギャーギャー騒いでいたり、桑畑やら田んぼやら、ここはどこ?と思う景色が広がるのです。

 私の好きな場所 その1

     111019_1025~02


 バラがいっぱい咲いてる場所。そろそろローズヒップがなってる頃…と思ったら、全て刈り取られていてなにもなし。でも、四季咲きのバラがいくつか花をつけていました。やっぱりいい香り。

 私の好きな場所 その2

     111019_1049~02


 小高い坂を上っていくと・・・ホントに田舎に来たかのような繁み。ここにごろっと転がってお昼寝します。
紫の美しい実やら、小さな野菊のような花やら。

     111019_1049~01
     

 葉っぱについた不思議な赤い実

     111019_1059~01


 私の好きな場所 その3

     111019_1030~01


 まるで映画「西の魔女が死んだ」で、出てくる秘密の場所みたいな、森の中のポッカリ空いたような場所。
大きな枇杷の木があって、ここだけ違う空気が流れている。
果樹園の中でふと見上げると、鳥よけネットにカブトムシがたくさんたくさん。

     111019_1031~01




 秋、だいぶ空気が澄んできました。

この場所とこんなに親密な時を過ごすことがあるとはね、帰ってくるまで全く予想もしていなかったこと。
街の中なのに自然あふれる場所。大好きになりました。

亡き父の母校でもあるこの大学。父の魂が私をここと結びつけてくれて、街で暮らすことになった私を助けてくれているのかもしれません。なんて。









 

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