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2011/09/29 (Thu) しいんとした湖

ざわざわする時は、ちょっとそのまま揺らしておこう。と思う。

だってボディワークのトレガーの先生も言っていた。

「体が動きたい方向へほんのちょっと助けてあげる。すると、からだが緩むのです」と。


きっと心もね。

体が、人に触ってもらうことでしか緩まない領域があるのと同じように、
心もさ、ひとにちょっと優しく触れてもらって動くかたまりがあるようです。



少し揺れることを許してもらって、自分が揺れたがっていたことがわかる。
ってもんだ。
ユサユサ。
ちょっとだからさ。いいよね。

最近涙腺が緩い。
いろんなことにユサユサする。
それはきっと、ユサユサできなかった柔らかいところが、小さく動き始めているんだと思う。
小さな変化。
始まりはきっといつも静かだ。


身近にいる、人が発するエネルギーはとても強くって、
知らないうちに、それに同調しようと多大なエネルギーを傾けているようです。
それがとっても素晴らしいものだとしたら、それに乗ってどんどん自分もよくなっていけるのだろうけど、
だけど、素晴らしいものだとしても、自分を保つのは、大変。

ぐっと押し下げている自分を、ちょっと思い出してみて、
おへその下からユサユサ揺らしてみる。
最初は小さな波から大きな波へと。

そんな時は「ヒト」の匂いの濃厚でない、デジタルななにかに身を浸したくなる。のです。







数日前、彼女との電話を切った後、

はたして私は何の言葉もかけられなかったし、すごくその痛みは身に覚えがある。と思いつつ、分かるよ、なんて軽々しくは言えなかった。分かるなんて、ね、痛みはその人だけのものだもの。

痛みはその人だけのものだけれど、だから、私にできることといえば、ユサユサしていいんだよって、そう思ってあげることくらい。

電話を切ったあと、何とはなしに「茨木のり子の家」という本を開いてみた。
茨木さんのことばをみつけたかったのかな。

でも、みつからなかった。
茨木さんの家は「しいん」としていて美しかった。
茨木さんは、潔くて、かっこいい、それでいて獣みたいに女の人でもある。
厳しくまっとうなようでいて、ひどく動物的だったりもする。
私も「しいん」としたところのある人になりたいです。


音の洪水の中で、
押し下げている心をユサユサ揺らして
そうして逆に水面を整える。
静かに静かに整っていく。

美しいにもいろいろあるのだ。

そしていろんなものが助けてくれる。


     51C5RYYTE1L.jpg




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



*茨木のり子『落ちこぼれ』から「みずうみ」   理論社*


だいたいお母さんてものはさ
しいん
としたとこがなくちゃいけないんだ

名台詞を聴くものかな!

ふりかえると
お下げとお河童と
二つのランドセルがゆれてゆく
落葉の道

お母さんだけとはかぎらない
人間は誰でも心の底に
しいんと静かな湖を持つべきなのだ

田沢湖のように深く青い湖を
かくし持っているひとは
話すとわかる 二言 三言で

それこそ しいんと落ちついて
容易に増えも減りもしない自分の湖
さらさらと他人の降りてはゆけない魔の湖

教養や学歴とはなんの関係もないらしい
人間の魅力とは
たぶんその湖のあたりから
発する霧だ

早くもそのことに
気づいたらしい
小さな
二人の
娘たち
          











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2011/09/27 (Tue) おだやかな暮らし

 
 私はもう、自分は大きな木の小さな葉っぱの一枚だと思っているから。

 たくさんの葉にまぎれて、いつの間にかはらりと散って、どこかに消えてしまうような。


 大きなことも立派なこともなじまない。

 例えば何かを作り上げるとか、流れを起こすとか、ある哲学を浸透させるとか、
やろうぜ!みたいな体育会な気配を感じると
さらりと距離を置きたくなってしまう。

 ズルイといえばズルイ、のかな、

 もう大人なのにね。

 
 感情の波を、この社会で暮らしていけるように一定に保って日々を送ることは、なかなか集中力のいることです。
 自分の心が今どちらに揺れているのか把握して、行きすぎないように少しよいしょと戻してあげる。
何十年も生きてきて、大分コツをつかんできたかな。

 でも、とっても集中力がいるからね。
なかなか大きなことまで気が回せないのです。

(というか、むしろ大きなことを起こすのは衝動がいることで、それは意図してできることではなく、どこからかガ~ンと降ってくるみたいなことなので、やっぱり役割というか天命というようなことなんじゃないかと思ったり…)


 10代の終わりに書きつけていたノートに書かれていた言葉

 「努力なしに幸せが欲しい」

 そして20代、仲良しの熱血社長に「いろいろやってるけど、一体何をやろうとしてるわけ?将来の目標はなんなの?!」と尋ねられた時、しばし心に問いかけたのち、出てきた答えは

 「心の安定・・・ですかね」 


って。

普通にしていて普通に完全な幸せでいられるのかな。


きっと今私はそれに取り組んでいるのだと思うのです。
(あ、みんなかな。)

朝、気持ちの良い日差しを浴びて、
美しい景気を見て、
美味しいものを食べて、
仲良しの子とそっと笑いあったり、
好きな人の肌に触れたり、

そんな幸せなことで完全に満たされた日々を送りたい。

例えばいい子じゃなくっても、賢く計算通りに何かを進めなくても。
誰かに好かれようと必死になったりしなくても。

ぼんやりただただ生きてるだけでそんな満たされた状態でいられるように。



きっとこどもがいる人は、もっと先の段階を行っているのだろうけれど、
次世代とか、社会とか、地球とか、

なんて言うと、こどもは社会全体で育てるものだ、なんて、こんな他人事みたいにぼんやりしてることに怒られそうだけど…。

まァまァ、きっと私もやる時はやりますよ。
なんて。

というか、今まで散々そんな問題に切実になってあれこれ自分なりにやってきて、ちょっと自分をおざなりにしすぎたかなって気もあって、今は自分をいたわる期間。


こどももね、

もう気づけば高齢出産というハンコが押される年齢になってしまい、産科の友達からも35からは母子ともにリスクがものすごく跳ね上がるんだよなんてことを言われて、そうなんだぁ、なぁんて。
焦ったりしててもよさそうなのに・・・焦んないのよねぇ、これが。

命がさ、私のもとで生まれたいと思ったら、きっと産むことにもなるかもしれないし、
誰もそう思わなかったら、ただの散りゆく葉っぱの一枚になるだけだろうし、
まァ、そんなものよね。

でもね、心から尊敬する大好きな人とDNAを半分ずつ混じらせた「生き物」をこの世に残していくって、とってもとってもステキななことなんじゃないか。なんて、先日急に気づいたりして。
そして、このすごいことを世の中の同世代の大半の人はもう既にしているということに、すごく驚いていたりしてました。

…今頃…。ぼんやりしすぎだね。



そういえば、先日、宮城愛ちゃんがライヴに来てくれたとき、夜みんなでお風呂屋さんに行きました。
帰りの車の中でちょうど流れたこの曲、
大好きな特別な曲です。
それを愛ちゃんが静かに口ずさんでいて、

鳥肌でした。

初めてのライヴのサポートが無事終わった私たちへの何よりのご褒美みたいな、そんな思いがけない時間でした。

   
  
 






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2011/09/22 (Thu) 不細工な可愛い子ちゃん、アリガトウ。

台風がびゅ~っと来て、ざ~っと来て。

もしかしたら避難なんてことしなくちゃいけないかも…。
なんて私にしては珍しく台風にソワソワおろおろしていて。

頭が逆回転みたいになっていて。

そんなことをしているうちに、台風は行ってしまいました。


台風が過ぎたら、玄関先に大きな彼岸花が突然に咲き。

     110921_1444~02

あぁ、もうお彼岸だ。


そんなことを思っていたら、母からメール。

「サトルが亡くなりました。」と。

サトルはうちの犬です。(ちなみに雌。)

遠い昔、捨てられていたのを拾われてきたサトちゃんは、完全な雑種犬で、なにの雑種かと聞かれたら、
オオカミとブタの雑種ですといいたくなるような、不細工なかわいこちゃんでした。

散歩が嫌いで、散歩の気配を感じたらいち早く地面に転がって。
無理やり連れて行こうと引っ張ると、首が太いので簡単に首輪が抜けてしまうので、何やらパラシュートのような重装備をさせられていました。
性格もオバタリアンそのもので、ド・ド・ド・と突進して、もう一匹のスマートな雄犬を邪険に追いやっては一番いい場所を占領していました。
スマートな雄犬がスマートな美しい顔でたたずんでいる横で、ふと見ると同じように「可愛いでしょ」と決め顔しているのにはいつも笑ってしまった。

あぁ、可愛い子でした。本当に。

17年前、父が亡くなってすぐ、
立て続けにうちに動物がたくさん拾われてきました。
なぜ同時期にあんなにと不思議に思うくらい。

2年前に亡くなったもう一匹のスマートの雄犬がとっても父にたたずまいが似ていたので、
先日亡くなった祖母は「代わりに来てくれんやね」とよく言っていました。(それにしても話に出てくる人も犬もみんな亡くなってしまった…)

父が亡くなってからの17年間、この家と、母と、そして私たちみんなを守ってくれた大切な家族です。


台風が過ぎ去ったあと。
すべての曇りがとりさらわれた朝。
家に帰りました。

     110922_1304~01

サトルは、生きてる頃は絶対に中に入れてもらえなかった居間に布団をかぶせてもらって横になっていました。
そして、首輪にはお庭のオレンジのバラが差し込まれていました。

「サトちゃん。」
声をかけてみます。
すっかり抜け殻みたいな、
でも呼吸の動きが今にも上下しそうな、
どちらとも。

可愛い子だったな。本当に。
おバカで不細工で。

私もお庭に出て、強い風にユラユラしていたメキシカンセージと千日紅の花を切り取って、そっと首輪に挟みました。
セージの清浄な香りが一瞬ふわり。

     110922_1302~01

行こうか。

車に乗せて運びます。
最後に聴かせる曲、サトルの体に浴びせ、包み込む曲は何がいいかな。
選んだのはWonWinTsanさんの「魂のトポス」。

ただれた下半身から発するのか、それとも少し飛び出した吐物から発するのか、車内に漂う血のにおい。
生きていたんだね。この体の中にいろんなものが流れていて、そして、それはもう生きていないんだね。

Wonさんの音は美しい波動になって、この小さな車内をしっかり包んでくれました。
よかった。


サトルとお別れした後は、
お彼岸だし、父の墓参りに。

犬山成田山の特別景色のいいところにそれはあります。

絵を描く人だった父は、犬山城と、古い城下町と、山と、ゆったりとした木曽川が流れるこの犬山の風景をとっても愛していて、だから犬山の近くに引っ越したのです。
そして休みになると自転車に乗って犬山の景色を描きに行っていましたし、ここにお墓を作りました。

     110922_1402~01

墓地の高台は風が特別びゅ~っと吹いていて、とっても気持ちがいい。

風に倒れてしまうロウソクを何度もたてなおして。

「サトルがそちらに行きました」と。



一緒に時を生きてきた命が消えてしまうのはさびしい。
とってもさびしい。

だからこそ、今この時がかけがえがないと思うのです。

母と言葉少なにお茶をして。
ふと見上げたら、窓のスクリーンに強い風で揺れる木の葉の影と、キラキラ揺れるサンキャッチャーがとってもきれいだった。

     サンキャッチャー




さて、お店に戻ろうかな。
そろそろ「えみおわす」の搬入が始まって、阿部ちゃんとエイミーちゃんが私の帰りを待ってるはずだ。


(Wonさんの魂のトポスは映像探したけどなかったけど、冬にライヴに行った真砂さんと、コラボしてるものがありまして。
これもよかった。「空からのまなざし」だって。)








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2011/09/19 (Mon) スタジオマノマノ 日曜市

 
 きっとね、帰国した後のスケジュールに未知のことがいっぱい控えていて、
実際それの準備に携わっている時には多少落ち着いていても、すっかり離れてしまうと何だか不安が頭をもたげて緊張してくる。
 そんな状態だったのだと思うのですよ。

 帰ってきて、まだ体はふと気を抜くと鉛のように重くなってしまうのだけど、
それでも少しづつ少しづつ、やることやっていたら心が落ち着きつつあるのを感じてます。

 

 今日、閉店後は買い出しに行きつつ、えみおわす展のDMを仲良しのお店に配りに行きました。

 仲良しさんに顔を合わせて、ワ~遊びに行きますね、楽しみです。なんて言ってもらって、うれしいうれしい。

 よかったよかった。

 そんなDM配りの最中に、今池のスタジオマノマノさんで行われていた日曜市に顔を出しました。
このスタジオマノマノさんはイベントスペースなんだけれど、何だかステキなものばっかりやってて気になってたし、以前夏祭りを企画している方がお店に来てくれて(友達の友達だった)、ぜひ来てくださいって言われていたのに全然顔出せてなかった。

 今日は仲良しのモビール専門店、manumobilesが出店していたのでこれはチャンス!とばかりに駆けつけました。ここのユキちゃんと、出産までに絶対会いたいねと言っていたのにお互いすれ違いばかりで全然会えていなかったのです。

 真っ暗な路地に照らされた明かりを頼りに、そっとドアを開けると…。

 あ~、いらっしゃい!来たんだ~。なんて。あっちもこっちも知った顔。

わ~って一気にうれしくなっちゃった。

 この知った顔のみなさん。知った顔なんてひと括りにできるようなものでなく、私が今この名古屋で一番洗練された物作りさんやなにやかにやをしている人たちではないかと思っている方々なのです。
(たびたび来てくれるお客さんで、絶対棘で展示してもらおうと心に決めている、ものすごくいい作品を作るオブジェ作家さん(可憐で底抜けに恐ろしい少女的な美しいものを作るのです。小さな小さな、儚いもので)も、のんきな顔してぶらりぶらりしてました。)


 ということは、、、、当然この日曜市のクオリティものすごく高い。

 もう心躍らずにはいられません。

 きっとよその皆さんが名古屋と聞いてイメージされるものとは全然かけ離れた世界で、ここに来たらあれ?名古屋ってって思ってしまうと思うのです。

 スタジオマノマノはまっ白な壁に塗られた四角い空間。

壁には線描イラストと「スタジオマノマノ」の文字。

     110918_2005~02

     110918_1953~02

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     110918_1932~01


ね、ね、ステキでしょ。


カワイイお人形が並んでいて、よくよく眺めていたら、何と私が夏にメグちゃんの結婚祝いにあげたお人形と同じ高知の”にしおゆき”さんという作家さんでした。
今回は日曜市のテーマが「こども」ということで、小さなこどもがいっぱい。
やっぱりカワイイ。大好き。
この方、こどものお人形と、あとおみくじもやってました。
三角くじのなかを開けると、小さな小さなお人形と何やら不思議な格言が。

     110918_1926~02

     110918_2005~01


出展されていたのはにしおさんではなく、フランスアンティークを扱ってイベントや展示をしたり、いろんな作家さんとコラボしたりという、なんていうのかな、プロデューサーなのかしら、みたいなかたでした。
そして、この方がとってもとってもかわいくて!
トリコロールのスカーフにどっしりしたストライプのエプロンドレスのようなものを合わせていて、きっと私より結構年上だと思うのだけれど、大人の可愛いというのはこういう感じなのかと見とれることシバシ…。

そうしたら、なんと、棘ですと自己紹介をすると、あぁ!ととっても喜んでくださって。
あっちこっちで何度もお名前を聞いててね、絶対行かなきゃと思っていたの!なんて。

なんて光栄な。
こんな素敵な方に期待されていたなんて、うわさが独り歩きてるんでなきゃいいけれど…。

そんなこんなでホクホクで帰ってきました。

もちろんマニュのユキちゃんのはち切れそうなおなかもナデナデできたし、カワイイお人形も一つ連れて帰ってきたし、石原ゆきえさんという、これまたうんとステキな陶芸家さんのティーカップも購入させていただいたし(ミルクティ用のカップをずっと探していたのです)

思いがけずうれしい時間になりました。



*スタジオマノマノさんblog*

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2011/09/18 (Sun) まだ何だか慣れなくて

 こんなにも更新を空けたことは今までなくて、ちょっとビックリしちゃったんですが

 旅が続いてました。

 徳島とベトナムと。

 その報告を早くしたいのだけれど、写真がまだ揃っていないのと、なかなか整理がついていないのでもうちょっと。

 
 そう、整理がついていなくって。

 いろいろなところでいろいろな人と時間を過ごして、違う価値観やらその中での心のゆらぎみたいなものをチラリと感じたり、だからといって「それはね」ってすんなりと理解して何か示すにはあまりにも私の普段のありようから離れていて、「あ、どうしよう」なんて思ったり。

 普段は出てこない心の動きが出て自分でも戸惑ったりして。

 それが旅の、非日常に出会うことの素晴らしいところだなんて、そういえばあちこちで言われたりしてますけども…なかなか楽じゃない作業です。

 そんな口にしにくい思いは説明しようとすればするほどに、思っているのと違って響いているようで、焦っていやになってしまう。
 だけど、説明しなくても分かってくれてしまう人というのがこの世にはいて、そんな人に無性に会いたくなったり。

 いろんな暮らしを垣間見て、自分の立ち位置やらいる場所がよく分からなくなって、さて、帰る場所は…と思ったときに、今、帰ろうとしている日常も日常と呼べるほど慣れた日々でもなくて。

 家もない、ルチンの安定した日々もない、長い時を一緒に過ごした「清も濁もあるよね」って暗黙でダラリとできる昔馴染みも近くにいない。

 私は帰る場所はなく、前へ前へと押し出される濁流の中にまた戻っていくだけだ、なんて思ってしまったら、何だかひどく疲れを覚えてしまい、帰りの飛行機でどうしようもない気分になってしまった。



 だけどね、本山の駅を降りて、見慣れたミスドやらUFJやらを見た時に、やっぱりホッとして。
歩きながらお店に着くのが楽しみになってきて。

 そして、飛行機の中では、あの玄関を空けるとききっと重苦しい気持ちであけるのかなってイメージしてたんだけど、

見えてきたおうちの灯りがうれしくて
「おかえり~。どうやった~。」って出迎えてくれたのが、ホントにうれしかった。

近くにいない人だって
ベトナムの月はどんなかなって空を見上げて思っていてくれたり、
更新ないから心配してたよ、なんてメッセージくれたり、
留守中に来たお客さんもベトナム行ってるの?なんて、ベトナム話をさんざんしていったよ、なんて教えてもらって笑っちゃったり。

濁流には違いないんだけど、
私はここにちゃんと場所があって、
私の周りのぐるりとした人のつながりは、私の抜けた穴をきれいにそのままに待っていてくれていた。ということがとってもうれしかったのです。

帰ってきて3日目。

そんなこと言ってますが、徳島もベトナムも本当に素晴らしかったのですよ。
ちょっと感じることが多すぎて、影響を思いきり受けちゃっただけで。

     110913_1148~01

     110911_2226~01

そんなそんな感じです。



少し前に、ちょっとしたモヤモヤをつぶやいたなら、
それを見たある方がこんな詩を送ってくださいました。
そのつぶやきは、
怒りっぽい人というのは自分が直接はよく知らない事柄や人に対して、不用意に責めることに躊躇しないというか、ゴーサインの閾値が低いのだろうというようなこと。
でも、わざと怒ってみるというか、それを問題提起や物事を動かすコミュニケーションのきっかけにするということもあったりして、何とも言えないといえば何とも言えないんだけど。
(なんて思ってつぶやきはすぐ削除しちゃったのだけど)

あぁ、結局「何とも言えない」ばっかり。

でも、谷川さんの詠うように、そうでありたいなと私もやっぱり思うのです。




 

ほめたたえるために生れてきたのだ
ののしるために生れてきたのではない
否定するために生れてきたのではない
肯定するために生れてきたのだ

... 無のために生れてきたのではない
あらゆるもののために生れてきたのだ
歌うために生れてきたのだ
説教するために生れてきたのではない

死ぬために生れてきたのではない
生きるために生れてきたのだ
そうなのだ 私は男で
夫で父でおまけに詩人でさえあるのだから

(谷川俊太郎「冬に」)

  


やっぱり言葉に載せるのって難しい。
ちゃんと誤解なく書けてるのかな・・・。



 

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2011/09/01 (Thu) ココロとカラダを整える

 8月はあっという間でした。
本当に。

別に夏だから何をしようと思っていたわけじゃあないんだけれど。

7月はエミちゃんをお迎えすること、そして、彼女の企画が早速二つ進んでいて、
どちらも私は直接面識のない方との彼女を通したやりとりになることで、なかなかどんな感じになるのか予測がしにくかったことや、
自分ならうまくいかなくても落ち込めば済む話だけど、やってきて早々の彼女の企画なので何としても成功したいという気合もあり…。
全精力を注ぎ込んだような。

結果お料理教室も愛ちゃんライヴもとっても素晴らしいものになり、そんな時間を生み出すきっかけをくれた彼女に心から感謝しているのだけれど、
何しろ疲れたみたい。

8月はもう放心していて、むしろ「8月は放心してていい?」なんて宣言したりして。

その前からいろいろやり残したり放置しているあれこれも膨大になりすぎていて、もうどちらにも首が動かない!といった感じで。

というわけで、放心していた8月。
あっという間でした。
8月中は新しい企画を進めない代わりに、放置しているあれこれをつぶしていこうと思っていたのですが、もう終わり。

あまり進んでいない…。
放心しすぎました。
(ここ数日でやっと動けるようになって。ちょっとつぶし始めたかな)

でもね、でもね、
整えるのは仕事だけじゃなく、ココロとカラダも。

8月から、お休みしていた朝の散歩とヨガと瞑想を復活させ、ピアノの練習も日課にし、
少しは早寝早起きできたかな。

カラダも少しづつ整ってきて、
ココロも少しづつ整ってきて、

そうするとね、いろいろなことが見えてきて、
ステキな人のなぜステキなのかっていう深い信念とかね。
真似したいなって思う余裕ができてきて、
自分に優しくしてあげたいなと思えてきました。

ここ最近だけでも、たくさんのたくさんの方にいただいた好意。

こころと時間を傾けて用意してくれた贈り物や、
遠くからお金と時間を割いて訪ねてきてくれたり、
しっかりと向き合って、心に落とし込んでから生み出された、とっても幸せな言葉をいただいたり、

今、想いはあってもなかなか気軽に動くことができない状況になってみて、
私のことを思い出して、会いたいなと思ってくれたり、これを贈りたいなと思ってくれたり、そして実際のプロセスを想像してなぞってみると、もう…。
「ありがとうね」では流せないのです。

 本当にありがとう。

会いに行きたい人はいっぱいいるの。
嘘じゃないのよ。

東京にも、埼玉にも、千葉にも、神奈川にも、長野にも、京都にも、大阪にも、奈良にも、姫路にも、香川にも、山口にも、熊本にも、福岡にも、新潟にも、岡山にも、島にも、そしてアメリカにも…。


でも、明日も私はここでがんばるね。



最近の アリガトウたくさんのほんの一部。

     アイスフラワー


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私もね、大好きな人にとってちゃんと助けになれるように

ココロトカラダヲトトノエテ





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