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2011/07/28 (Thu) 夜の気配、朝の気配、昼の気配。

 夏の夜。

おうちに帰ってきています。

母ももう寝てしまって、扇風機の回る音以外何の音もしていない。静か。

ふと、お部屋の隅に寝ていた年老いた猫がたちあがり、のっそりのっそり歩いていきました。
すっかり痩せてしまった震える足で一歩一歩。

部屋には今日引き取ってきた祖母の荷物が山積みに積まれており、隣の部屋で仏壇の前で寝てる母。
年老いた家。

かつてこの家には、若い父がいて、母がいて、走り回るいたずらな小さな私たち姉妹がいて、それを目を丸くして見守る祖母がいて、
壁には私たちが描いたでたらめな絵を父が喜んでいっぱい貼っていてくれていて、
遊び道具を散乱させては母に大きな声で怒られて、
お庭に水路を作るために、スコップで穴だらけに掘って水浸しにして、そのまんまお風呂にざぶんと飛び込んだり。

この家がね…って、ぐるりと見渡してみる。




もうきっと呆けてしまっている年老いた犬が、あ~ん、あ~んと早朝に鳴くのでなんだか早くに目が覚めてしまった。
暑い。
遠くに遠くに蝉の声がする。
昨夜話した人が「蝉が鳴き始めたよ」といっていたけど、ホント、蝉、鳴き始めたね。
シャーシャーって。
なんだか蝉の声って茶筅でシャカシャカやってるみたいな音だなぁ、
なんて思いながらボンヤリしていると、
蝉の声がだんだんと二重奏三重奏って大きくなって、それに張り合うようにうちの呆け犬があ~ん、あ~んって鳴いている。
右耳に蝉。左耳に犬。
ステレオだな~zzzz。みたいな。


ずっとなんとなく寝てるような起きてるようなでぼんやりとして、
お昼頃に観念して起きてきました。
おうちに昨夜漂っていた不安な静けさは消えていて、光に植物が照らされていました。

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猫はやっぱりおんなじところで体を横たえています。
どこを見ているのか分からない目でぼんやり動かないので、時々不安になってじっとのぞいてみると、何か殺気でも感じたのかはっと起き上ってこちらを見るので、安心して視線を外すとまた同じように横になっているのです。
猫ちゃん。猫ちゃん。

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 何もする気にならなくて、のんびりとワンピースを仕上げます。

 何だか気合入れてやらなきゃなことはいろいろとあるんですが、何だか今日はぼんやりを許そうと思って。

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 ワンピース。可愛くできました。

 光が当たっていても、やっぱりこの家はかつての家とは違っていて、静かに時が止まったような、そんな場所です。
 父親がいて、母親がいて、成長する子供がいてといった、生産と消費と、ダイナミックに躍動する命があってといったものがないからでしょうか。

 何だか頼りない女三人が、父の残してくれたものの中でわずかにここに足をとどまらせ、どこへともつかない海のような中で何となく泳いでみたりしているような、そして今は母と年老いた動物たちが、静かにここで息をしているような。そんなそんな家ですね。


 私が帰ってきて、この土地で生産を始め、母もその生産活動に加わり始め、
何かこの家の空気も変わっていくのでしょうかね。

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 昨夜、昔の旅日記をパラパラと見ていまして、京都の建仁寺を訪ねた時のものを見ていたら、建仁寺の襖絵が橋本関雪だったことにこの度気がつきました。
 橋本関雪に関しては、私はこの日記の数年後に白沙村荘という彼のアトリエとお庭を訪ね、そのお庭が本当に大好きになってそれ以来時々訪ねているのです。そこの展示室で彼の絵も見てはいるのですが、正直そこまで絵はお庭ほどには訴えてくるものはなかったはずなのですが…。
 ですが、改めて見たこの建仁寺の「生々流転」という襖絵がとっても良くてびっくりしました。

 「生々流転」

その説明文
 (前略)~波間に浮かぶ小さな丸太に一羽の鳥が安らかに眠っている。~(中略)~雨と風の構図で人生の波乱をあらわし、その嵐を乗り越えるものは禅的体験であり、澄んだ月光のような境地になれると力強く訴えている。
~(後略)

 
 何だかとりとめのない徒然です。
頭回っていないので…。







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2011/07/26 (Tue) ヤマトナデシコの会。なんて。

 着物が好きなのですよ。

 着物は楽しいです。

 その何とも言えない色合いとか、織の質感とか、
着物の柄と帯の柄で遊ぶ感覚とか、さらにそこに帯揚げやら帯止めで外したり、そこに小さな主役を持ってきたり、

 振袖に大きな帯でグルグル巻きのお人形みたいなのも可愛いけれど、
私はそれよりも、帯をぐっと下に傾けて、襟元なんかゆるゆるしちゃってるような、江戸や明治のちょっと中年がかった女の人の着方にぐっときたりして。
 極力お人形にはならないようにと思ってはいるのだけれど、かといって襟元ゆるゆるがカッコイイなぁんて思ってくれるようなそんな現代社会でもないわけで、つまりそれはただ単に「だらしない」とか「くちゃくちゃになってる」なんて思われる確率の方が高いためになかなか思い切ったことはできないでいたりして…。
 まぁ、程良く下品にならない様に、ほんのりそんな感じに着れたらいいなと思ったりしているわけです。
 
 かつて、勤める身の上でなくなったら絶対に着物で暮らすようになりたい!なんて思っていたわけですが、なかなかなかなか・・・。
 東京にいたころは何かと食事だライヴだと着物で出かけていたけれど、長野の山からこっち、さらになかなかなかなか・・・。

 棘を始めて、まぁこんなところですし、着物で来てくれる人がちらほらといまして。
あぁ、やっぱり着物好きだなぁ、私も着たいなぁと思いがとうとうと高まって!

着物会。

開催しました。

ちょうどタイミング良く津軽三味線やってるなんて子と知り合いまして、じゃぁ着物着て三味線聴くなんてどうかしらねって。
フフッ。

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参加者は8名+たまたま名古屋に来ていて「店にいる?」なんて連絡くれた京都の友達(いつも突然なのですよ、うれしいけど)が二人で合流したので計10名。
着物といってもみんな本当にそれぞれで、面白いねぇ。
みんな可愛くって大興奮です。ポーズをとらせていっぱいいっぱい写真撮ってばっかり。

 フランス語でバラについての言葉が書いてあるというものにこの帯。大胆。らしいなぁ。
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 八咫烏(ヤタガラス)という、黄泉の国の案内をするという三本脚のカラスがモチーフになった着物だそう。こういう感覚ステキ。
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 日焼けして真っ黒になっちゃったので白い着物で来ました!という彼女は、いつもとっても楽しい着方をしているのです。髑髏の帯揚げ。
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 ちょっと南の顔立ちにこういう感じは、奄美っぽくてピッタリはまる(なんて言ったらまた怒られるか)。
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 母は、先日亡くなった祖母の浴衣で。
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 そしてわたくし。本当は黒の絽だか紗だかの着物でメンズな感じにしようと思っていたのだけれど、合わせてみたら髪型的に何だか玉木宏になりそうだったので…。
薄紫の着物にしました。この色合いは大好きな着物。
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 そしてそして、始まりました。
津軽三味線。

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 三味線の音って、思っていた以上に張りがあって、胸を直接はじくようなそんな音。
柔らかい民謡やら、すごい迫力のジョンガラ節から、
もうひたすらかっこいい…。

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 楽しかったな。


 考えてみたら、今日集まった人たちのほとんどは棘を始めてから知り合った子たち。
そして残りの3人だって最近まではそんなに密に接していたわけじゃない子や遠くに住む久しぶりの子。(母も含めて)。

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不思議だなぁ。
本当に。

時はちゃんと流れていて、人とは出会っていくのですね。





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2011/07/20 (Wed) 羊の余韻

 台風のおかげで、今日訪ねてくるはずだった人が来られなくなり、ポッカリ空いたお休み。
大事な用事だったのになんだかちょっとうれしかったのは、少しお疲れ気味なのかもしれない。

 縁側のテーブルでゆっくりゆっくり朝食をいただきます。

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 空は台風の余韻で、真っ暗になったり、突然日が差し込んだり、そしてそのままバラバラと雨が降り出したり。
不思議な天気。

 それに翻弄されてるかのような、喜んでるかのような、そんなお庭をぼんやりと眺めていたら、きれいなアオスジアゲハやら、アシナガバチやらが次々と飛んできて…。

ぼんやりぼんやり、こんな休日うれしいな。

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 先日、東京である人にお会いしました。

 とってもステキな文章を書く人です。
長いものも短いものも、私はとにかくその人の書く文章が大好きで、初めて読んだ時には本当に「この人は…」って驚いたもの。

 その端々に垣間見える物事の見方とか、それに対するスタンスとかが私と似ている気がして、何だかひどく年老いてしまっているような私の中のその部分はなかなか人と共有できることが少なくて、もちろんごくごく親しいお友達とはその部分を暗に了解し合っているから何だか深い仲良しなんだろうけれど、文章で始めからそのことをものすごく感じ取るということはなかなかないことなので。

 実際にお会いしたその人は、まるでその文章のように話す人だったので、とってもうれしくなってしまいました。
 聞き逃しそうなほどさりげなく込められた毒ッ気や、洒落た言い回しや、
淡々とさらりとしているようで、そのことこそが人に対する最大限の想いやりだったりすることがちゃんとにじみ出ていたりして。

 何だか話しているだけで、頭をヨシヨシされているような、そんな気分になりました。

 私は、頭も回らず、段取りも要領も悪く、きっと人から大丈夫かと心配されているようなのに、「人には頼らない!」と肩肘張って突っ走って生きてきてしまっているようなところがあり、こんなふうに誰かに頭ヨシヨシされているような気分になって安心するというのは本当にないことなので。




 数年前、立て続けに投げつけられたいくつかの言葉。
それらが私のあらゆる臓器に串刺しにささってしまっていて、それを少しづつ抜き続けるようなこの数年間だったように思います。
 その言葉が飛び出すまでに至ったあれやこれやがあってこそというのは重々承知しているし、もう違う文節で生きている人なので何とも想像のしようもなかったり、あるいはその性格を知り尽くしているから、なんでそんなことをいうのかも十分理解していて、わかってるんだけど、わかってるんだけど、

 でも、口をついて放たれた言葉そのものは、いくらその背景を理解したところで、そのまま頭がしっかり記憶してしまい、そんなことないんだって分かっていながらも日々私を責めてくるのでした。

 「自分なんて何の価値もない」そのことを振り切るようにダッシュで走ってきたような日々。

 そのころ親しくしていた人たち。「海に沈めてやっていいですか…」とこちらがびっくりするほど憤ってくれたり、「弱さだよ、強がってるんだよ」と慰めてくれたり、今も「元気~」とびっきりの変わらない笑顔で横浜や東京からお店を訪ねてきてくれたりする彼ら彼女ら。
その後出会ったたくさんの人たちにも優しい言葉や関わりをたくさんもらって、本当に年々年々いじけた心がほぐれてきたように思います。
ありがとう。




 お会いした次の日、
私とお会いした印象をその人が文章に載せてくださっていました。
あまりにも優しい言葉。
初めて会った私のことをそんなふうに印象してくれたんだ…と思ったら、
頭の先から足の先までがビリビリとしびれて、何だかうつむいたまま動けなくなってしまいました。

 それはまさに、その頃の私がほしかった言葉。
いやいや、それ以上の言葉。
こんな風に言ってもらったら、もう生きてきた私にこれ以上の幸せはないじゃないかと思えるくらい。

 なんだか、言葉で刺された穴、全部抜けた穴に小さく残っていたかさぶたが、ふわりと飛んでいったような、そんな瞬間でした。



 「せっかくだから何かお土産でもと思って」といって用意くださっていたたくさんのものは、どれも本当にセンスが良くて全く仰天していしまいました。
センスのいい人だというのは前から分かっていたことなので、そういう一般的な意味でのセンスの良さはもちろんのこと、
初めて会う見知らぬ人間のために、こんな感じかなと想像を巡らせていろいろ選んだり包んだりしてくれたということや、
そうして選んでもらったものがことごとく私がほしいと思っていたものやデザインや色や音だったりしたことに。

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 何だかため息が出ちゃうよね。


 人とどう関わって、どう生きていくかということに対して真剣に丁寧に取り組んでいる人というのは、派手なことは決してなくて、ただ日常の流れる時間に沿って、細やかに美しく生きているんだなぁと、
本当に本当に感動していました。


 羊が好きと言っていたけれど、何だか羊みたいに見える瞬間がありました。
とはいっても別にモコモコしているわけでも、ましてやあの変てこな目をしているわけでもないんだけど、なんとなく、ね。

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 いただいたファントム・クウォーツのブレスレット。
タイダイのワンピースによく合って、光にキラキラしてきれい…。







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2011/07/19 (Tue) 藤前干潟

 中学生の頃、何をきっかけだったのか忘れましたが、WWFのジュニアレンジャーというものに入会していました。

 地球環境がものすごい勢いで破壊されているらしいということに子供らしい切実さで真剣に胸を痛め、少ないおこずかいの中から毎月僅かばかりを寄付していたのです。
 ジュニア向けに送られてくる会報誌を一生懸命に読んでは、大変だ大変だと思っていた私…。
 (それが何を今こんなにぼんやりしているのだか分りませんが…、大人になってしまったものです。)

 高校生になり、片隅で胸を痛めつつ、でもまぁ思春期の日常でかなりあれこれ思い悩むこともありましたので(たいていくだらないことですが)、まァまァな感じになっていて…。

 そんな高校生の頃、名古屋の「藤前干潟埋め立て問題」というものが浮上していました。

ゴミが増えて処理しきれず、藤前干潟を埋め立てるという。
名古屋の港にわずかに残された干潟。そこにはたくさんの生き物がいて、そこを目指して渡り鳥がやってきて(何とアラスカからオーストラリアまで彼らは渡っていくらしい!)、何やら生態系的にとっても重要な場所らしい。

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 埋め立て反対運動というものが起こり始め、私も何か力になれればと思うのだけれど、いまいち行動力もない高校生だった私は、ただただ埋め立てされなければいいなぁと祈っていたばかりでした。

 高校のクラスメイトに、まさに港区藤前に住んでいる子がいました。

 私は「座り込みになったら私も行くからね」と言ったのを覚えています。
そして彼女もずっとそれを覚えていてくれていました。

 もう社会人になってから久しぶりに再会した時、
「あの時藤前干潟のこと言ってくれて感動したんだよ」と言ってくれて、そのことにホントにびっくりしました。


 この度名古屋に帰ってきて、私なんてもう10年以上いない人間だったのに、彼女には彼女の人間関係がここでできているだろうに、彼女はそんな空白ないかのようにとってもとっても心寄せてくれるのです。

 私は本当に感謝してもしきれないくらい。

 
 さてさて、毎度のことながら前置きがすっかり長くなってここで終わった方がいいくらいだけれど、気が長い方は読んでくださいマセ。

 この度彼女からお誘いが。
父に私のことを話したら、ぜひ干潟を案内したいと言っている。と。

 何を隠そう私、干潟にはまだ一度も行っていなかったのです。
何やら相当離れた場所にあるというイメージだけがあり、調べなきゃ~…(月日)。みたいな感じで。


 雑木林や何やらの奥地なのかと思っていたら、全然全然。
港の近くのきれいな住宅地でした。

 堤防に上ると…。
広がる泥地。その向こうに名古屋港のトリトンやらビルやらが見え、不思議な景色。

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 お父さまについてどんどん入っていきます。

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 雲ひとつない青空から日差しが照りつけて、

 音もない世界はなんだか果てしない夢の中にいるような錯覚に。

 足元に小さな穴がいっぱいあいています。
これは蟹の穴、こっちは違う、などと一つずつ教えてくれます。

 鳥の足跡もたくさん。キレイ。

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 干潟もたくさんの人が入ると地面の下の生き物が死んでしまうから、入ってもらう場所を限っているのだそうです。 
なので、遠くの方にはたくさん鳥が見えるのだけれど、近くにはあまりいない。
でもそれでいいのだ。

 野生のウナギもいるらしい。こんな土管だったり、

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こんな岩場だったり、

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堤防は、満潮でも潮が届かないところに歩きやすい通路を、お父さんたち守る会のメンバーでアイデア出して今作っているのだそう。

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堤防を生き物がくぐるトンネルとか。

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 干潟を出たらビジターセンターに。

 藤前干潟が2002年ラムサール条約登録湿地に登録され、埋め立て計画が白紙に戻り(!すごいことですよね!肝心のゴミはどうなったかというと、その時に「ゴミ非常事態宣言」とやらが出され、分別の徹底が始まり、何とか新しい埋め立て地を作らないで今に至っているのだとか。)。
 そのことを受けて、環境省から保護のための資金がおりるようになり、このビジターセンターでたくさんの子供たちに干潟の大切さを訴えていく活動が始まったそうです。

 このセンター。想像されるそれよりずっとずっといい施設でした。
楽しく干潟の大切さを伝えたい!って熱意がいっぱいで。
やっぱり場所の持つ雰囲気って、気持ちありきなんだなぁと思ったりしました。

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 いただいたパンフレットの終わりに書かれていた言葉

 画期的な「埋め立て断念」から2年、私たちは、干潟を守った市民の責任感と「やろうと思えば、デキル」ことを215万の大都市で示しました。藤前から「使い捨て社会」のゆきづまりを教えられ。循環型の「ゴミゼロ」社会を目指す跳躍台に立ったのです。
 干潟で子どもたちの、センス・オブ・ワンダーを育てながら、「道理を通した」私たちの「社会的選択」を誇りを持って伝えたいと思います。
関わったすべての人々に感謝し、共に喜びを分かち合いながら。



 なぁるほど。


 ビジターセンターにあったカワイイもの。

 海苔漁師だったおじいちゃんが作った自作の海苔漁模型。

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フフフ。
 
 
 
 

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2011/07/13 (Wed) 時代にとっても家族にとっても、一つの何かが終わったかな。

 祖母が亡くなりました。

 ちょうど100歳。

 100年この世界を見続けて、去って行きました。


 仕事を終えて、店を出た時、広がっていたのはあまりにもきれいな夕方。
夕焼けというんではない、薄青と群青のまだらの空。
高層ビルのてっぺんの赤いピカピカ。
高速に連なる車の光。

 100年前からつながっていた命が消えた時、現代がより主張を強めたかのような、そんな美しさでした。

 車に入っていたのはちょうど「Hallelujah」か細いか細い声で歌われるそれは、妙にこの瞬間にマッチしていました。
 大きな声じゃ言えないけれど、これはHallelujahなんだよ。って具合に。

 実家に寄ったら実家は空っぽで、やたらと乱れた感じがした。
「昨日友達来た時寄ってもらおうと思ったけど、こんなじゃ寄ってもらわなくて良かったな」なんて思ったほど。

 親戚は全くいつもの調子で陽気に喋りまくっていました。
いつものようにテンポの良い関西のりで、息の合った掛け合いを見せていて、神戸チーム以外の私たちはおなかを抱えて笑うばっかりで全く口をはさむ余地もない。
いつもの調子。


 祖母は美しい顔をしてました。

 真っ白な肌と髪とはまるで透けるようで、かわいらしい感じだったのが、人が変わったように凛々しい顔になっていて。
 

 前日。
もういよいよかもしれないという連絡をもらって、会いに行きました。
ちょうど小豆島から友達が来ていて、新しいスタッフのえみちゃんと3人で。
こんな臨終の場に連れていくのは友達にも他の家族にもどうかとも思ったのだけれど、なんだか一緒に行くのが自然な気がしたし、とっても愛の大きな二人におばあちゃんに会って欲しかったのです。

 もう表情も動かず、息が荒くなっている祖母に対して二人は優しく声をかけ、手をさすり続けてくれた。
私は足をずっとほぐしてあげていたのだけれど、たくさんの手に包まれて、きっとその熱は伝わったんだと思う。

 朝方静かに息を引き取ったという。


 骨は本当にカサカサと軽くって、潔く何も残さず去って行った。

 明治の生まれで、姫路の大きな地主の娘だった祖母はしっかりとした婦女教育をうけており、つまり決して出しゃばらず、無駄口をきかず、部屋の隅にきちんと座って私たちにまでお仕えするがごとくかいがいしく働く人でした。
 長いこと近くに住んでいて夕食をともにしたりしていたのだけれど、本心や、何か深いかかわりや、そういったものの印象が全く浮かんでこない。

 認知症になり、グループホームにお世話になってからは、今まで抑えていたかの如く喋りまくり、人生訓を語りまくり、おっとりとした美しい関西弁で話されるとんちんかんなそれがとっても面白かったようで、「はなえくぼのマドンナ」なんて呼んでいただいてうんと愛してもらいました。
はなえくぼの皆さんには本当に本当に感謝なのです。


 告別式が終わり、私はまた日常に忙しく戻っていき、

 休んでいる母にふと電話をすると・・・
思った以上に元気をなくしていて、それが意外なのと、元気をなくしているとは思っていなかった自分に驚きました。

 入所してからでも10年。ずっと通って心を寄せてきて、一番の大切なお勤めだったのだから当たり前か。
いや、私なんかが知らないずっとずっと長く母と娘は深く深くかかわってきたんだろうから…。


 父が亡くなった時も長い間元気を取り戻すのに時間がかかった母のこと。
心配だけどとにかくいちにちいちにち横目で見ながら日々を送っていくしかないかなと思う。

 お店もあって、母のことを好きというか面白がってくれる常連さんもいたりしているし、
それが励みになってくれたらいいけれどと思うのです。

 なにしろ私も母と娘。
心配はしていてもなかなかスムーズに近づくことができませんで、想いを飛ばしつつ、たくさんの他人さまの力を緩衝材として、何とか何とかできたらいいのだけれど。

 タイムリーにエミちゃんが来てくれて、同じ兵庫県の彼女のことを母はとっても喜んでいるのです。
のんびり屋さんの彼女だけれど、あの関西の「あんたがアホや」という類の冗談を、取り込みながら会話するのがやっぱりうまいのですよ。(私はいまいちなじめずに、母からいつも「クールだ」とか「のりが合わん」なんて言われてしまうので…。)
 だから彼女がいて楽しそう。

 そんなこんなで。
いつもパワー全開に見える母ですが、結構繊細で気を使い屋さんだったりして、(いわゆる循環気質ってやつですかね。)私のほうがよっぽどきっとタフな人間なのですよ。
 いろんなことを越えてきた母なのできっとまたすぐ元気になるかと思いますが、しつこいようですが私ではどうにも近寄れない部分もありますので、皆様優しく見守っていただければと思いますです。

 たぶん2006年のかわいいおばあちゃんの写真を見つけた。

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 と母。

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2011/07/04 (Mon) 「こーさんのうち」おうちごはん

 「こーさんのうち」というお料理屋さんがあります。
お料理屋さんっていうのかな、カンボジア料理の移動販売でイベント出店なんかを主に行っている夫婦です。

 日本人の奥さんヨーコちゃんと、カンボジア人の旦那様こーさん。

 大好きな大好きなお友達。

 私は安曇野にそれまで2年暮らしていたわけなんですが、都会から集まった子たちで作られる共同生活は楽しくて、また、いろいろ盛りだくさんで、土地の人と触れ合う機会を持とうという気持ちがそれまで全く欠けていました。

 それがひょんなことで誘ってもらったタコやきパーティでヨーコちゃんと知り合い。
まさに、まさに、世界がぐんと広がって、今まで万華鏡みたいなものでグルグル見ていた安曇野の土地が、しっかりしっかり空は空に、山は山に、田んぼは田んぼに、私はしっかり足をついて周りを見渡すことが初めてできたのでした。

 音楽イベントでカレーをいただいたり、こーさんの講演会に足を運んだり、ご実家にお泊りしたり、一緒に山に登ったり、いっぱいいっぱい遊んだねぇ。
家というもののない私の長野ライフの中で、確かな家族の中で迎える夜や朝は本当に心に沁み入りました。

 数ヵ月ぶりに会うこーさん夫妻。
彼らがおうちで最近始めた「おうちごはん」を予約しました。

「おうちごはん」おうちの一部屋が本当にお店みたいに変わっていて、おもしろかった。
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メニューは、カンボジアカレーといろいろなサイドディッシュ。
中でもアモックという、どうやら魚の身をほぐして作られる茶碗蒸しのようなものは私大好き。

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一緒に行ったお友達が釣ってきたばかりのイワナも塩焼きにしてくれて、贅沢な食卓。

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食後はカンボジアコーヒー。コンデンスミルクを入れて甘く甘く。
何だか子供のころを思い出す懐かしい味。
     
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こちらはバナナちまき。これもうまいんだ。

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お部屋でつるされたハンモックでゆらゆらしてみたり、ライトを落としてムーディにしてみたり、
何をやっていても、何だかここがカンボジアみたいに思えてしまう。日本の中でもここは長野県なのにね。


二人の会話は本当に面白い。
みなさんにぜひぜひおうちごはんを予約してもらって体験してみてもらいたいのだけれど、
なかなかそうもいかない方はぜひ「こーさんのいえ」blogを。
こーさんネタが満載で面白い、かなり日常の癒しになります。

     こーさんのうちHP

こーさんが面白いのかヨーコちゃんの突っ込みが面白いのか、分かりませんが、
その一方二人のひたむきな努力は本当に胸を打たれます。

結婚して初めて日本、(それも雪がいっぱい降る寒い寒い長野県)にやってきて、日本語を覚え、車の運転を覚え、日本の人たちの中で毎日真っ黒になって働いて、カンボジア料理のお店を始め…これだけでも信じられない努力ですが、
さらに、こーさんのカンボジアのうちを改装して学校を作るプロジェクトを進めています。実際もう建物が建ち、たくさんの子供たちが勉強を始めているそうです。

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私がイベントやりたいなんて言っていたまさに去年の今頃、そんな話をヨーコちゃんにしたときに、「私もカンボジアのチャリティイベントみたいなのやりたいな。呼びたいミュージシャンがいるの。けんちゃんっていう、カンボジアが大好きでカンボジアのいい歌をいっぱい作って歌ってる人…」なんて話していて、できたらいいね、できるよぉ。なんて言っていたのですが、


わずか一年。
その夢がかなうようです。
冬に一度チャリティイベントは開催していて、それにも楽しくいかせてもらったのですが、
夏に第2弾が行われ、それになんとそのけんちゃんが出るという。

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こーさんのうちの夏祭り記事

     

すごいすごい!
叶ってるね!

学校だって叶ってるし、
チャリティイベントだって、呼びたいミュージシャンだって、叶ってるし、

何でも何でも叶っていくんだなぁって、本当に興奮しました。
8/28 私がSAMOSイベントで大変大変お世話になっている、松本MOLE HALLのラウンジ、GNUで。
行きたいな、行きたいな、強行なら遅れて行けなくもないかな。
なんて。
どうなることやら。





 

 

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2011/07/02 (Sat) 三宅伸治という存在

 時間が前後します。

 が、大事なことを書かないで、長野紀行に突入してました。

 これは絶対書かなくちゃ。月曜の夜のこと。



 三宅伸治という人を知っていますか?
私は全然知らなかった。

 私がthe SAMOS一色に燃え上っている頃、お友達から「実は私も三宅伸治ってギタリストにはまってて…」と告白を受けたのですが、何しろ私は寝ても覚めてもSAMOSなわけなので、本当に申し訳ないことに「ふ~ん」と聞き流しておりました。ごめんね。

 それから一年近くがたち、やっぱり三宅氏三宅氏といつも話題に上がってくるため、そろそろ気になってきていたのでした。
 そんな折、川崎に住む彼女が三宅氏のライヴの為に名古屋に来るという。

 私も一緒に連れて行ってもらおうかな…。

 そしたらとっても喜んでくれて、早速予習CDなるものが2枚も送られてきて…

 何となく聞いてみて、そして、思いがけずじ~んときてしまった。

 私は最近本が読めないということは先日書いたのですが、さらに歌ものの音楽もあまり聞けない感じで。
もっぱらインストかクラシック、英語詞か、ふわふわした意味の分からない感じの歌詞のものならギリギリ聴けるのですが、歌詞で聞かせるというようなたぐいの曲は全く避けていたわけです。

 それがそれが、最近の私だったら一番に耳が拒否するタイプの音楽だったにもかかわらず、あまりにも真反対から急にきたせいか、思いがけずじ~んとしてしまった。


 その言葉はとにかくシンプル。
いいおじさんが、とにかくシンプル。
そしてストレート。

 
 そんなこんなで、興味がわいた自分にもおもしろくって、ライヴはとっても楽しみにしていました。

 三宅伸治という人がどういう人なのか、詳しくはこちらを見ていただいた方がいいかと思うのですが、
 三宅伸治officialサイト

 とにかくキヨシローとともにあった半生なわけですよ。聞いてみれば。
学生時代から大好きだったキヨシローに運転手からチューニングから、少しずつ少しずつ近くなっていって、最後はクレジットに名前を載せて一緒に音楽を作れるところまで。
 
 キヨシローという強烈な光にどうやって自分という距離を保っていられたんだろう。
男同士で。

 そこにどんな思いがあるのか私には分からない。
なにしろ、キヨシローがすでにこの世にいなくなってしまった今、はじめて彼を見るのだから。

 そうして初めてみた彼は、私の余計なお世話の色眼鏡なんて吹っ飛んでいってしまうほどにまっすぐな人でした。
 キヨシローへの尊敬と愛情とをまっすぐに持っていて、彼と出会えたこと、音楽を続けてこられたこと、心から嬉しいと。
 そんなふうに見えました。

 「次の曲は、夜明けにできた曲で、ボスが「最高傑作ができたな」って言ってくれたんです」と話すときの彼の柔らかくくしゃっと崩れる笑顔や、遠くに投げかけるような視線や言葉や…。

 人として、キヨシローのことをこころから愛しているんだな。


 そしてそれがお客さんにも伝わるから、お客さんから本当に愛されているのを感じました。
キヨシロー世代のコアなファン。一筋縄じゃいかなさそうな彼らから、弟のように可愛がられている、応援されている、愛されているのを感じました。

 最後アンコールは3回。
深々と頭を下げ続けた彼。

 素直な愛ほど強いものはないなぁと、じ~んと涙があふれそうでした。

     110627_2134~02


 誘ってくれてありがとう。
「めちゃかっこいいよ」といわれ、といってもまぁおじさんでしょ。なんて構えていた私。
本当にめちゃかっこよかった。
ネクタイの結び方一つ、頭のタオルの巻き方一つ、歌が終わって言葉を話す瞬間、全てから目が離せないほど色気があった。
ステージに立つ人だなぁ。と思いました。





 

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2011/07/01 (Fri) 諏訪中央病院のお庭

 灼熱の名古屋を抜け出して、長野に行ってきました。

 長野は涼しい。涼しいというか、名古屋が暑すぎる。

 
 まずは、ずっと参加しようと思っていた諏訪中央病院のお庭の手入れ。グリーンボランティアにやっと参加しました。
 
 昨年のちょうどこの時期。初めて諏訪中央病院のお庭を訪れた時(まだあれから一年なんですね~。そのことに今驚いた…。)、もう本当に本当に感動して、そして、毎週水曜日にボランティアさんたちが手入れをしているので、よかったら一緒にどうぞといわれ、絶対来たいと思っていたのです。
 (*昨年初めて病院を訪れた時の記事

 その時以来諏訪中央病院への想いは募りまくり、とうとう養生園を卒業した昨年12月から働けることになりました。
 でも、しっかり雪に覆われたお庭は冬の間はお休みで…、春が待ち遠しいなぁ、なんて思っていたのですが、まさかまさかの急展開で、名古屋に戻ってお店を始めることになり。
あ~んお庭~と、後ろ髪引かれながら茅野を後にしたわけです。

 参加すると言ったら絶対参加する!

 やっとやっとこれました!

 養生園で今年ハーブをメインに関わってくれている子と、松本のとってもステキなグリーンコーディネーター、風知のYUKIさんもお誘いして。


 今日の作業は、…ふむふむ。マーガレットの花柄摘みと、マロウの花摘みだそうです。

     110629_0955~01


 マーガレットはもう終わり。
根本からどんどん切っていきます。
いい天気。お空には夏の雲。
まだ涼しい風が優しく通り抜けていって、本当に気持ちがいい。

     110629_1001~01

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 こちらのおチビちゃんは、ママと一緒にマロウの花摘み。摘んだかごをハイッと私に何度もくれました。


     110629_1041~01

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 作業がひと段落したら、ここのお庭を作られた蓼科ハーバルノートの萩尾エリ子さんが、友人たちにお庭を説明して回ってくれました。

   110629_1134~01
  

 エリ子さんの言葉。
エリ子さんの美しい言葉で紹介されたお庭の花たちは、とってもとっても輝いて見えました。

 美しい母によって作られ、守られている植物たち。
その誇りでぐんぐんとおひさまに近づいていっているようで。

     110629_1144~01
  (こちらは屋上庭園のビオトープ。大きな金魚がいます。)

     110629_1144~02
  (屋上庭園からの景色。)

         
 エリ子さんがニッコリ笑う。そして、知ってること、想ったこと、全てを伝えたいとばかりに口からあふれ出す言葉たち、美しい立ち姿。

 養生園のワークショップで関わらせていただいたとき、すぐに不安になったり余裕をなくしている私に、エリ子さんはいつも「大丈夫よ」って言ってくれました。「とってもいいわね」って。
いろんなことをくぐりぬけてきて、大切なこと、ステキなことを知っている大人の女性だけがもつ包容力。

 私はまだまだ小さいな。
勝手にいっぱいいっぱいになって、心寄せてくれる人や手を差し伸べてくれている人に甘えてまっすぐ向かえなかったり…。

 なんだか、お庭を渡る風と一緒に、心にも柔らかい風がス~っと通っていったような、そんな午前でした。

      110629_1146~01




 看護部にあいさつにいったなら、「ついこの前あなたのこと話していたのよ~!」なんてとっても喜んでくださいって。
 この病院はすべてが温かい。

 看護部から戻ってみると、「ご飯にしましょうか~」と。
ボランティアの皆さんのもちよりのいろいろを一緒にいただきます。
どれもこれもごちそうばかり!

     110629_1212~01

     110629_1213~01


 みんなで働いて、そうして、食事の楽しみもおざなりにしない。
とっても素敵な会でした。

 

 

 

 

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