2011、11、11。
この日はマヤ歴でも大きな意味を持つ日で、数字の上でも大きな意味を持つ日で、あらゆるそういったものでこぞって大きな意味のある日なのだそう。
この日、私は京都にいました。
先日亡くなった祖母の納骨です。
納骨なんだから日にちはいくらでも選べたはずで、母は散々土日は休めないから平日にしてくれと頼んでいたにもかかわらず、(いとこはほとんど子育て中の主婦で、土日じゃないといけない理由は何もないはずなのに、)なぜだか納骨は12日の土曜日になりました。
納骨は午前中なので前日から京都入りして、久しぶりに家族3人で旅館にでも泊まろうということに…
私は本当にスケジュールが立て込んでいる真っ最中だったので、なぜ京都なんかに行く時間を「今」作らなくちゃいけないのかと、泣きそうな気持も抱えたまま何とか新幹線に飛び乗って京都へ。
改札で待ち合わせて久しぶりに妹の顔を、(というか、母と妹のくだらないいつものじゃれあいを)見たら一気に仕事を離れて懐かしい家の感じを思い出しました。
なんだかひときわ輝いて見えた京都タワー。
祇園に予約した宿に向かう途中、ふと目に入った看板には「高台寺ライトアップ 21:30まで」と。
あぁ、お庭がみたいなぁ…。ライトアップとか俗っぽい観光っぽいことがしたいなぁ…。と居ても立っても居られない衝動に駆られ、宿に荷物を置いたらいそいそと高台寺へ。
東山にあるうちの墓から下りてくるとちょうど祇園なので、このあたりには墓参りの度に必ず通っている、わりには、高台寺には行ったことがなかった。
とにかくただ、俗っぽい観光がしたいというそれだけでフラフラとはいって行った高台寺ですが、
思いのほか立派で美しくって驚きました。
そして、、、、
お庭の小道をぐるりと周ってその場所に立った時、いったい何なのか分からなかった。
一緒に歩いていた母も妹も一様に同じ言葉を口にしていました。
「なに、どうなってるのこれ?」と。
池に映った紅葉。
その水面は決して水面なんかではなくて、地上の紅葉を同じように映しているようでいて、より深く鮮やかで静まり返った世界がそこにはありました。
夜の闇はより暗く、散りゆく紅葉はより赤く、そこに漂う空気はとっても魔力を持っていて、足が自然にそこに向かってすっすっと引き寄せられてしまうような。
その世界を満たす空気は恐ろしい吸引力を持って、誘いこむような・・・
こんなものを見たことは本当に一度もありません。
我にかえるように視線を上に外してみると、東山の澄んだ空気の中を登ったばかりの満月が、くっきりと光っていて、その吸い込むような池にわずかにゆらゆらとその姿を揺らしています。
111111のこの日、祖母は私たちをこの地にいざない、そして東山に眠る祖父があの世への入り口を一瞬見せてくれたみたいな。
そんな夜でした。
朝。
人のいない祇園の街をお散歩します。
朝露に濡れた萩や秋の草花たち。
朝焼けに照らされたうろこ雲の空にはごま塩をばらまいたようにカラスが一斉に飛び立っていきました。
あれはなんだったのか、気になって仕方がない私は、朝もまた高台寺へ。
そしてその場所は…
ただの濁った池があり、わずかに色づき始めたただの葉っぱがゆらゆらしているだけでした。
空気はあくまでも俗のもので、酸素だか窒素だかの空気以外の何物でもないような味気ない景色があるだけでした。
お寺の人に、たち話の流れで「昨夜のこの池がすごかった」と伝えると、
「そうでしょう、夜には見えないものがいますからね」とそっと付け加えてくれました。
夜には見えないものがいる。
それはイコール邪悪ということではないのだろうけれど、
理路整然と考えられた科学や思想やそういうことだけでなく、清く正しいことだけでなく、
この世にはいろんなものがあり、うごめきあうそういった様々が働きかけあって物事は成り立っているのだと、
そう思ったらなんだかワクワクニヤニヤしちゃったりして。
ちゃんとできてないこと、段取りがスマートじゃないとか気が利かないとか心が美しくないとか、なんとかかんとか…
疲れのせいでか過剰に自分を責めあげていた最近の自分が、ちょっとだけバカバカしくなったりして。
さすがは京の都。
一筋縄じゃいかないです。
そして百鬼夜行のこの都で安らかに永眠する先祖を持つ私もきっと、そのくらいのふてぶてしさを持っててちょうどいいのだ、なんて思ったりして。
未分類 | trackback(0) | comment(4) |
<<猫をおくる、柔らかな午後。 | TOP | 月とおはぎ>>
comment
同じように
イルカの話が気になって、こっちのブログをのぞいてみました。イルカはほんとに分かってるねえ。
私もちょうどこの日のブログを今日書いて、そしてこちらを開いたらリンクしてたからついコメント。
私は保存してた写真のタイトルが「月とおはぎ」で、ブログは変えちゃったんだけどね。
のせてくれてありがと。のびのびいきましょ~。
2011/11/17 23:49 | けいこ [ 編集 ]
おじいちゃん
おじいちゃま、粋な人だね。
お墓参りさせていただいたことが
とってもうれしい。
こないだは電話ありがとう
とってもとってもうれしかったよ。
谷さん、おたのしみに。
よい時間を。
ねっこをはったらいそいそと
美しい姉と
青猫行くのだ。
2011/11/20 10:29 | のぞみ [ 編集 ]
けいこさんへ
月とおはぎ、おはぎと月、
あの夜は本当に大切な夜になりました。
柔らかくて強い。けいこさんをみていると柳のように思います。
風に乗ってふわりとやってきて、そして痛いところにその枝を触れて、そしてふわりとゆられていく。
ありがとう。
おはぎが本当においしかった。
2011/11/21 18:33 | アンネリダ ガーネット [ 編集 ]
のんちゃん
おじいちゃまは本当に粋なお人だったのよ。
今まであのお墓に手を合わせたのは3人。のんちゃんなつきちゃん、そしてもう一人。
みんなとっても温かい力を持った大切な人。
人の墓参りなんて普通行かないよね。
おじいちゃんが会いたかったんだと思うのよ。
大きな瞳をうるうるさせて一生懸命迷いながら生きてるのんちゃんの強さに、離れていても私はいつもいつも助けられています。
青猫はいつでも非日常の扉を開けて待っているよ。
2011/11/21 18:38 | アンネリダ ガーネット [ 編集 ]
trackback
trackback_url
http://zenchushouka.blog133.fc2.com/tb.php/229-0883fbc3
| TOP |