もうすぐお休みで、港に行くんだ!と、ずっとずっと楽しみにしていて、
そしてその日がやってきました。
天気予報では、雨のち曇り。
雨の港もまたいいかもね。
なんて思っていたら、曇っていた空はお昼前から見る見る晴れて、
すごくすごく気持ちの良いお天気に。
とっておき、fujii+fushikino展で買ったばかりのワンピースを着てお出かけしました。
仕事もね、仕事と言っても楽しいことばかりなので、いいんだけど、
でも
仕事全く関係なしに誰かと一日出かけたりってことがここ最近全くなかったので、
本当にうれしい。
久しぶりの名古屋港。

さっき朝ごはん食べたばっかりなのに、なんだか興奮しているせいかもうお腹ぺこぺこ。
このままじゃ港どころじゃないよ。
「焼きそば」の文字に吸い寄せられてふらふらとフードコートへ。
今日はね、もう食べたいもの片っ端から食べちゃうんだから。
なんて。
頼んだもの。
名古屋焼そば。なるもの(コーミソースが名古屋だけのものって初めて知った。)
パッタイ。
きしめん。
味噌串カツ。
(麺ばっかり・・・)
きしめんはその場で食べて、あとは抱えていそいそと港まで。

青い空、青い海。
そしてぽっかりぽっかり浮かんだ雲!
たくさんの人が載った遊覧船が、出発してぐんぐん進んでいく。
海釣りしている親子。
風で乱れるへアースタイルを直しながらなんども写真を撮りなおしている可愛いカップル。
楽しいなぁ。気持ちがいいなぁ。

帰り道。
港から戻る地下鉄の中で、
「バラの饗宴〜バラに魅了された4人のロザリアンと切り絵作家の世界。〜」
との広告を見つけ、
フラフラと名古屋高島屋へ。

てっきり無料かと思ったら入場料がかかると分かり、ちょっと躊躇。
でもまぁ、はいろうか。
と、切符売り場に向かおうとした時、
「これ、使って」と通りすがりのおばさんが、招待券をくれました。
なんてなんて!幸運!
スゴイ!信じられない!
今日はご褒美だね。本当に。って、興奮興奮。
バラ展はとっても楽しかった。
まぁ、室内、しかもデパートということもあり、屋外のバラ園のようなわけにはいかないのだけれど、
バラのエキスパートが選ぶバラというものは、本当に美しいものばっかりでうっとりしっぱなしでした。







会場の外にはバラ苗がたくさん売っています。
私、こういうところに実は来たかったんです。
ちょっと前に、去年のバラ園の写真などふと見ていて、バラが急にすごく恋しくなっていたのです。
そして、バラの苗が欲しいなぁ、それもその辺のホームセンターとか園芸店のやつじゃなく、本格的に美しいやつを真剣に選びたいな、名古屋だったらどこに行ったらいいんだろうってネット調べたりしていたんです。
思いがけず叶っちゃった。
そして、
どの子がいいか何周も何周もして悩みに悩みに悩んだ末、
レディユーナというバラをプレゼントしてもらい、おうちに連れて帰ることに。
バラ展でも好きなバラに選ばれていた「ブル・ドゥ・パルファム」というバラと最後まで迷っていたんだけど、
このレディユーナは、
ポッと小さな明かりがともったような、幸せな感じのする花だったので。
枕元にこの小さな鉢を置いて寝たら、いい香りがずっとずっと漂っていて、本当に幸せ。
これから大切に育てていきたいと思っています。
本当に幸せな休日でした。

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一週間ほど風邪が治りません。
ずっといろいろ続いていて疲れがたまっていたのかな。
でも、直接の原因は完全に自業自得で、夜中にyahooのトップに出ていたAKB公開処刑という文字が気になって、公開処刑ってなんだろうと思って開けてみたら、どうやらAKBメンバーが抜擢されたイベントでプロのモデルさんと並んだりして、そのスタイルの差が際立ってしまっている、という意味らしい。
そして、それについていろんな人があぁだのこうだのコメントしているのを見つつ、
そこから違う記事に飛んだりして、くだらない時間を過ごしてしまっていたのです。
AKBもですが、紗栄子という人も随分な言われようをしているのだなぁ・・・など、見なきゃいいのに気になってどんどん読んでしまい、
そして、そのコメントの言葉に何だかこっちまで傷ついてしまいました。
同じ何かを発信する身として、
銭ゲバだの、自分のことしか考えていない、だの、自分に酔ってる、だの、
こんなふうに言われたらつらいなぁ・・・って。
そんなことをしていてすっかり遅くなってしまい、
ずいぶん前に用意したお風呂はすっかりぬるい。
入った瞬間「ぬるい・・・」と思ったのですが、追いだきもないので少しお湯を足しつつ、
「ぬるいなぁ・・・」とのんきに思いながら毎度のことですがお風呂でうとうとしてしまった、
これがことの発端です。
情けない。
ずっと痰がらみと咳が続いていて、いい加減に胸が痛い。
そして、体力がないせいでちょっと何かするとすぐに疲れてしまう。
朝、その日の予定をイメージして、とてもこなせる自信がない…と、毎日よっぽど休もうかと葛藤しているのですが、ギリギリで思いなおして何とかやってきています。
もし休めるチャンスがあったらお店休んでがっつりなおしたいと思っていたのに、
なにかと外せない予定がチョコチョコあったので、そのチャンスがないままGWに突入。
何だか焦って悲しくなって、
お休みに入る人たちのワクワクした様子(に見える)に、
元気なのに連休なんてズルイ!と、
完全に的外れなやつあたりをするどうしようもない状態。
毎日最低限のことを集中して、
やれるかなと不安ながら何とか一つづつ終わらせていっていることを、
ホッとすると同時に、元気であれば感じないような達成感も感じていて、
本当に元気って大切ですね。
この連休中は、ちょうどいいくらいの忙しさで、大混乱することもなく、神様に感謝です。
5月の3日にはおやすみが来て、港に行ったりあんかけスパを食べたり、犬山の大好きなビストロに行ったりしようと思っていて、それをとっても楽しみにしています。
「フリーって毎日が夏休みみたいなイメージだったけど、実際は毎日が夏休み最後の日みたいな感じ」って、誰かがtwiiterでつぶやいていて、まさにまさにと膝を打ったのですが、
時間もお金もすべてがフリーってことは、
その時その時でキチンと自分で状況を判断して、何を優先するのかを決めていかないといけないなって。
私にはなかなか簡単なことではないですが、
そうしていかないと健康も、金銭面も、人づきあいも、
歯止めなく恐ろしいことに陥ったりする可能性があるということをしっかりと頭に置いて。
これからの課題です。


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ちゃんと優しい思いを過不足なく、丁寧に乗せた言葉を届けるようでいたいと思う。
コミュニケーションにはいろんなやり方があるけれど。
底に流れているのがたとえ愛情だったとしても、
私は、もう、その時その時、気持ちの良い温かい言葉を贈り合う、そんなふうでいたいと思う。
他人と接して気づくこと。
私は不用意に投げられた言葉のいろいろを、いちいち受け止めて、
そして、
傷ついていたんだと。
「ほんとに可愛げがないね」と、なんども投げつけられて、私は可愛げのない人間なんだとすっかり思いこんでいた。
けれど、きのう、「可愛いところがある」と不意に言われて、本当に本当に、驚いた。
心の奥にある石がカタンと溶けた気がした。
あの人は、私の石をいつも優しく溶かしてくれるのです。
それから、以前自分の中が整わなくて、ずいぶんと傷つけたかもしれないと思っていたお友達と、久しぶりの再会。
本当はちょっと緊張していたのです。
そうしたら、私は本当にうれしくて、
そして、彼女は変わらず温かかった。
さりげなく入れてくれたハーブティとちいさなおやつ。

久しぶりのお客さん。
久しぶりだったのは時間だけで、きっとずっと彼女の中ではこの場所は近くにあったのだと、
あってすぐに分かったのです。
そして今日。
来るかなと思っていた時間から少し遅れていて、どうしたかなと思い始めた頃、
バラを一輪携えて、扉を開けました。
うっとりする香り。
甘く、そして最後はさわやかで、いつまでもいつまでも香っていたくなる。
今夜は枕元に置いて寝ようと思う。
怖い夢を見ないように。

それぞれの
寄せてくれた
小さな優しさにありがとう。
心から。
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全然更新してなかったなぁ。
3月末に書いた文章。やっぱり嫌になってあげなかったんだけど、やっぱり載せよう。
そんなに悪くもないと思う。
そして、改めて、こちらも少しづつ綴っていこうと思います。
自分のために。
3/27の日記。
最近本当に忙しくって、
アンブログどころか、お店のブログがギリギリ更新、というか、パソコンに向かう時間もなかった…。
一日中予想を超える人出にてんやわんや。
いろいろ焦りまくってやることやって気づけば0時過ぎ…みたいな。
1日までノンストップです。
でも、がんばるぞ。
なにより、たくさんの幸せが一日のうちにたくさんあるから、身体は疲れ果てていても、幸せで濃い日々です。
まず、ユカリ展が素晴らしいこと。
そして、彼女と彼女の作品がたくさんの人に愛されている様子を一緒にみられるのはうれしい。
そしてそして、ステキなモノ作りさんやその周辺の方と知り合えたり、久しぶりにお会いできたりして。
働くってどんなことなんだろう。
「お母さん業は、24時間365日休みなしなんだから」なんてのを聞いて、ひえ〜私にはとても無理だ…と
足がすくんでいた私なわけですが、
(私は両親ともに、常にシャキシャキ動いていて、だらけたりしてるところを見たことがなかったので、
親になる=もう絶対に「ちょっとごろっとしよう」とかできない生活になるんだ。という変なイメージがあり、その覚悟は相当の気合がいるというか。)
でも気づけば今の私は、毎日毎日、ごはん食べたり寝てる以外はほとんどずっと仕事してる。
あれ?一緒?と思ってみたり。(もっと大変だ、一緒にするなといわれるかもですが…)
でも、私が楽しい楽しいでずっとどんどんやっちゃってるのと一緒で、子育てだって大変なばっかりじゃないんでしょう。きっと。
以前、銀色夏生さんが、「詩人になりたいんだけどどうしたらいいですか」という若い読者の質問に答えていて、
「どんなことでも、仕事になるということは、求められているかどうかです」とかなんとか答えていたのがとっても印象的でずっと覚えています。
私は若いころ、自己表現で食べていけたらなって思って、ガラスをせっせとやっていたのですが、いざ作品を販売するという時点で、この自己排泄のようなものでお金をいただいて食べていくのがいいのかどうか分からなくなってしまいました。
その前にやっていたナースのお仕事は、確実に必要とされることに手を貸して、それでお金をいただく。という。それからしたら、あまりにもな気がして。
仕事というからには、自分がこうしたいじゃなく、必要から生まれることに汗を流してその代償をいただくものなんじゃないか。とか。あれこれ考えて過ぎて、お金をいただくことが苦しくなって、
ナースの仕事をしている方が、お金をいただくことということについて堂々としていられたので、
その二つを行ったり来たりしていたような20代でした。
でも今、自分のお店というものをもってみて、
その二つの融合した地点。
仕事というものの意味が何となく見えてきたような気がします。
銀色夏生さんの言っていたことの意味も。
とにかく、興味の赴くままに身につけた様々。
それをもって、「私はこれができます」と提示する。
それを踏まえて、人や社会が私に求めること。
これがよかったとか、こういうことをしてほしいとか、これをいっしょにやろうとか、
その様々にコツコツと応えていく。
これが仕事ということじゃないかと最近思うのです。
それは、お金を生む仕事であったりなかったり。
あ、もう一つ。
関わった人みんなが、幸せな気持ちというのはもちろんのこと、ちゃんとお金という形で報酬を得られるように頑張りたい。と思っています。
その人の技に人間性に敬意をもっているならば、その人が生きていけて、その技を継続していけるように。
ちゃんとお金を生む仕事にするということは大切なことだと思うのです。
最近とってもその事を思う。
ボランティアという言葉は美しくって、
本当にちょっと何も口をはさめないくらいに美しい言葉になっちゃっているけれど、
私は、遠くにいる人や畑違いにいる人を助けるには、お金といういいツールがあるじゃないかって。
お金は労働や物の交換を便利にしたただの物体なのだから、毛嫌いすることはなく、
すべての仕事はボランティアにイメージされるような愛と力の貸しあいとなりうるし、
ただそこに便利なお金というツールが介在しているだけで。
この社会で生きていくには最低限のおかねはどうしたって必要なのだから、
今自分がやることをがんばって、例えば消費だったり、税金だったり、
特別なことをやらなくても社会はそういうところに回していくためにあるのだから。
(政治や悪い企業がどうとかそういうことは置いといて、原則的に。)
ちゃんとお金を回していけるようになりたい。
いいよいいよ、助けあいだよ、というのももちろんだけど、助けてくれた相手がその提供してくれた分、生きていけるように。
なんて、まだ全然そうはなれていません。
でも、がんばろうと思います。
春先は別れの季節。
よくしてくれたお客さんが何人も、遠くに引っ越すことになったと挨拶に来てくれました。
本当にさみしい。
扉を閉めるときに、「棘、フォーエヴァー!」
と言って去っていった(笑)Sさん。
こちらこそどれだけ救われたかです。
棘が長く続くように、ちゃんと頑張りたいです。
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恐怖を感じるほどの漆黒の闇に浮かぶ炎
照らされる人
山伏の吹き鳴らすホラ貝の音と
耐えることのない般若心境
この世とあの世が入り交ざり、そして誕生を呼ぶ。
北陸の海と山に挟まれた町で行われた春を呼ぶ神事に今年も行くことができました。
一緒に歩いていた人がぽつりと言った言葉。
昔、こんなに厳しい土地では、冬を越すのは本当に命がけだったんだと思う。
春が待ち遠しいなんてそんな生易しい気持ちじゃなく、
命を繋ぐために、春、そして、植物や命の芽生えを祈る、そういうお祭りなんじゃないかって。
この前、暦では啓蟄を過ぎました。
啓蟄・・・虫たちが動き始める時。
春は生命の誕生の時で、生命の誕生というのはきっと、ただ季節が廻れば起こるということではなく、
なにか大きなうねりや化学変化のようなことがおきて、
きっとその時、あの世とこの世の扉がひらくのかも。
そのあの世とこの世の扉を開くことを、人の力で起こしていく。
いや、もうそこにいる人たちは人の形をして人ではないかのような、
そんな想いにすら駆られました。
春は来ます。
それはもう、3月に入ったからとかそういう意味じゃなく、
春を命をかけて呼びこんできた人たちの、長い長い伝統が今年も継続して行われたから。
昨年、ものすごいみぞれと吹雪とあられの中で参加したこの神事。
最後に一回だけ大きく鳴り響いた雷。
お店のオープンを目前にしておこったこの出来事。
そのおかげで
きっとお店はたくさんの恵みがあったのだと、心から感謝しています。
一緒に行ったお友達は、今年はお礼まいりのつもりで来た。
なんて言っていましたが、わたしもそう。
この神事は本当に特別な特別な、
この新しい年に化学変化をいっぱい引き起こしてくれる幕開けだと思っています。



















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